50周年の紀南プチ旅行 その7 道成寺 (和歌山県日高川町鐘巻)

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久しぶりに日高川町にある道成寺を訪ねてみました。何度か訪れたことがある道成寺ですが、初めて見るような気分。最後にお参りに来たのはいつのことだっかかしら・・・。遠い昔のような・・・。

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境内の本堂、三重塔などの風景は美しく端正な感じ・・・。

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美しく紅葉したカエデ・・・  (ちょっと季節外れでごめんなさい)

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イチョウ葉も綺麗に黄葉し、地面を覆っています。ここは釣り鐘の中に隠れていた安珍を嫉妬に狂った大蛇に姿を変えた清姫が釣り鐘ごと安珍を焼き殺すという凄惨な事件現場だと伝わっているようです。たまたま一夜の宿を借りた修行中の僧・安珍に、その家の娘・清姫が思いを寄ます。帰りに立ち寄るという約束を違えた安珍を追って清姫が後を追いかけて行きます。そして、ついに嫉妬と怒りにより大蛇の姿になってなおも追いかけていく清姫。道成寺に逃げ込んだ安珍は釣り鐘の中にかくまわれますが。燃えさかる怨念の塊となった大蛇(清姫)は、その燃えさかる炎となった体を釣り鐘に巻き付け、釣り鐘ごとと共に安珍を焼き殺してしまうというお話しです。そう言えば、ここ道成寺の住所は日高川町鐘巻だったっけ・・・。

この物語を、重要文化財・道成寺縁起絵巻の複製の絵巻を使って、住職がお話ししてくれる「絵解き」が有名です。以前来た時と同じように軽妙で、時には笑いを誘うように、お話をしてくれます。何回聞いても物語の世界に引き込まれます。と言うことは、ここのお坊さん、とても説法が上手と言うことかも知れません。もし近くに行かれるようなことがありましたら是非どうぞ。

道成寺伝説を考察した論文が甲南女子短大国語国文研修室から発表されています。参考までに・・・。

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安珍と釣り鐘を埋めたという安珍塚です。安珍のことを想うあまり、千々に乱れた清姫の怨念と、蛇体となって燃えあがる炎を表しているように見える樹の幹がなんとも意味深・・・。

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境内にある稲荷社です。この他にも天神様、弁天様、住吉様(住吉大明神)を一緒に祀ったお社もありました。明治になって神仏分離令が出る前の、神仏習合のの名残かしら・・・。

今日は2023年の大晦日、ブログを見に来てくださった多くの方、本当にありがとうございました。皆様にとって2024年が素晴らしい年になりますように・・・。 これからもよろしくお願い致します。

50周年の紀南プチ旅行 その6 岩代の結松記念碑 (和歌山県みなべ町)

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帰りは高速道路を通らず国道42号線を帰ってきました。途中、みなべ町藤代坂にある有間皇子の結松記念碑です。有間皇子は孝徳天皇の息子。乙巳の変のおり、首謀者・中大兄王とその母・皇極天皇に祭り上げられて天皇位に就いた孝徳天皇は難波京へ遷都します。大和の混乱が収まった頃、孝徳天皇の意に反して中大兄らは強引に大和へ都を移します。残された孝徳天皇は憤死されたとか。大和に戻った皇極天皇は重祚して斉明天皇として再び天皇位につきます。有間皇子は中の大兄王の従兄弟、皇極(斉明)天皇の甥に当たります。身の危険を感じた有間皇子は狂気を装って斉明母子からの難を避けようとしますが、蘇我赤兄の奸計により、謀反の疑いをかけられ、牟婁の湯(白浜温泉)へ出かけていた斉明母子の元に護送されます。その途中、ここの生えていた松を見て詠んだ歌が「磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸きくあらば またかへりみむ」 なんと悲壮な覚悟で読んだ歌でしょう。有間皇子は19歳。庇護する人もなく、父の敵と言える人達の元へ護送されていく気持ちはいかばかりだったことでしょう。弁明するも許されることなく、再びこの地を通って北へ送られていく有間皇子の胸中、来る時よりも悲壮なものだったことでしょう。そして今の海南市の藤白坂で絞首刑に処せられます。権力の座にある人が、後々自分にとって邪魔な存在になるような人に対してとる行動は昔も今も変わらないように思います。俗物が権力を握った時の恐ろしさ・・・。

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藤白坂で絞首刑になった有間皇子を祀る碑です。右が有間皇子の墓、左の大きい碑は、有間皇子が詠んだ歌です。「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」 碑には万葉仮名で刻まれています。多分 「家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉乎盛」だと思います。ところで、この写真は今回の旅の帰りに撮ったものではなく、ブログを始める5年前の2005年2月に撮ったものです。つい最近行ったように思っていたのですが、もう19年近くも前になるのですね。本当に10年や20年なんて、あっという間に過ぎていくように思います。

50周年の紀南プチ旅行 その5 見かけた植物

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まず最初に訪れた橋杭岩で見た花、ハイビスカスです。行ったのが12月6日なんですよね。こんな時期にまだ生き生きと咲いている。さすが南国紀州!と感動して見た花です。我が家のハイビスカスは、もうとっくに家の中に取り入れているのです。光が当たる部屋に置いてあるのですが、何だか青息吐息で生きている感じなのに、ここのハイビスカスは艶々していて元気そう。

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橋杭岩とハイビスカスです。何だか南の島にやってきたみたいです。2月に行った石垣島で見たハイビスカスを思い出しました。

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ハイビスカスの側に咲いていたこの花、伴侶が興味を持ったらしく例のグーグルレンズで調べていました。「アシタバのようだよ」と教えてくれました。名前は聞いたことがあるような・・・、そして食べたこともあるような、ないような・・・

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何だかヤツデの実を思わせるようなアシタバの花(蕾)です。実際はヤツデよりも小さいのですが・・・。私達の住んでいるところでは見かけない植物のように思います。やはり本州最南端の串本町ならではの植物でしょうか。

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橋杭岩あたりをうろついていた時見つけました。この花どこかで見かけたことがあるような・・・。考えた末、思い出しました。これはアロエの花だということを。葉っぱを見ればすぐ分かるのに、花だけを見ていたのでなかなか名前が出てこなかったのです。こんなところにも私の性格が表れているようで、苦笑いしたことでした。そう言えば、アロエって苦かったっけ・・・。

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こちらは言わずと知れたソテツです。まだ実は熟していないところを見ると、ソテツの花と言った方が良いのかも知れません。

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これも見てすぐ名前が分かりました。オオタニワタリです。なかなか堂々としています。潮岬灯台に行く途中にたくさん生えていました。植えてあるのか、自然に生えているのか分かりませんが・・・。石垣島で見た巨大オオタニワタリを思い出しました。

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おーっ!この木の幹の何と〇〇〇ことよ。〇に入る言葉はご自由に考えてください。葉っぱは落ちていたのですが、御綱柏(みつなかしわ)という木だそうです。

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「あっ、このチョウチョ、アサギマダラじゃない?」 まさかと思って見てみると、紛れもなくアサギマダラです。でもツワブキの花の蜜を吸っているみたいです。このアサギマダラ、南の島へ帰りそびれてしまったのか、それとも暖かい串本の街で越冬するのか分かりませんが、12月にアサギマダラを見かけるなんてなんとラッキーなことでしょう。そういえば、我が家のフジバカマには今年もアサギマダラは来てくれなかった。近くに咲いているフジバカマにも来てくれなかった。アサギマダラはフジバカマの花が大好物のようですので、通る度に探していたのですが・・・。アサギマダラフジバカマについては以前取り上げました。クリックしてご覧ください。

55周年の紀南プチ旅行 その4 美しい海岸

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紀伊の国の海岸は美しいことで知られていますが、これは紀伊大島にある景勝地、海金剛です。案内板によると、潮岬や紀伊大島は火成岩で出来ているのに対し、大願の串本は砂岩や泥岩で出来ているそうです。海金剛はマグマによって出来た岩が波の浸食によって出来たものだとか。伴侶は手前のピラミッド型の切り立った岩が特にお気に入りのようで盛んにシャッターを切っていました。右上に飛び出した岬には樫野崎灯台があります。

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灯台からは分かりにくかったのですが、離れてみると、切り立った崖の上に立っているのが分かります。このあたりの地形は南海トラフ地震の度に隆起し浸食されて出来た海岸段丘だそうです。

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荒磯というのでしょうか。どこで撮ったのか忘れましたが・・・。いつまで見ていても飽きない風景だと思います。

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荒磯と砂浜がある風景。海の激しさと優しさを感じさせる風景です。海水浴にでも来たら楽しく過ごせそうですね。子供は海水浴、大人は磯釣り・・・

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岩礁に打ち寄せる波しぶきを見ていると、なんと人がいるではありませんか。お判りですか?気になるようでしたら写真をクリックしてご覧ください。多分判ると思います。大丈夫かな、波にさらわれたりしないだろうかとハラハラしながら眺めた景色です。あちこち動き回っていらっしゃったので釣り人ではないと思うのですが・・・。おまけの1枚でした。

50周年の紀南プチ旅行 その3 宿からの眺め (和歌山県串本町)

串本は我が家から3時間ほどで行ける場所ですから、ついつい気分的にのんびりしすぎてしまい、宿へ向かう頃になると暗くなり始めていました。やっぱりゆっくりしすぎたと、そのときになって慌ててしまったのです。なぜ慌てたのかというと・・・

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宿から見る景色を楽しみにしていたからです。日の入り、日の出の美しい景色を見ることができるはず。そのつもりで天気予報を見て、大丈夫だろうという時になって予約したぐらいですから・・・。ですから部屋に飛び込むやいなや窓を開け、外の景色を見てみたのですが、かろうじて夕焼けに間に合ったようです。やれやれ・・・

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一方、橋杭岩の方はというと、こんな景色。おーっ!絶景!橋杭岩ってこんなに長く続いていたんだ。橋杭岩の全景を眺めたのは初めてです。いい眺めでしょう? (橋杭岩の全景が見渡せるであろうパーキングエリアと言うか公園があるようですが、今回もそこはスルーして、すぐ側まで行ってしまっていたのです)
この写真で橋杭岩の手前にある突堤に点々と灯っている明かり、真っ暗になるとその光だけが目に入るんですよね。あの明かりは何だろう。突堤の明かりだと言うことをきれいに忘れてしまっていたのです。考えあぐねた末、伴侶曰く「あれは橋杭岩をライトアップしてるんじゃない?」「まさか・・・、それにしては橋杭岩が浮かび上がっていないように思うけど・・・」 帰って写真を見て初めて正体が判り大笑い。やれやれ、年だな~。

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大島の向こうが明るく輝いてきました。もうすぐ日の出と待っていると、太陽が昇ってきました。大島にある港も見えてきています。手前の串本の港も・・・。「ここは串本向かいは大島 仲を取り持つ巡航船・・・」この二つの港の間を巡航船が通っていたのかどうかわかりませんが、つい串本節が口をついて出てきます。

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橋杭岩も朝日を受けて輝いています。お日様に向かって明るく顔を輝かせながら橋杭岩が太陽と「おはよう」の挨拶を交わしているようです。

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串本の町も朝日を受けて目覚めてきたようです。 日の出って素敵ですね。宮古島の東平安名崎の時もそうでしたが、久しぶりの日の出に感動しました。 期待通りの朝夕の景色を見るとができて満足、満足。この宿に泊まった甲斐があったと思ったことでした。

50周年の紀南プチ旅行 その2 潮岬灯台と樫野崎灯台 (和歌山県串本町)

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本州の最南端にある潮岬灯台です。潮岬、串本はこれ以上南がない最果ての地。ですから台風のときなどよく中継地としてテレビなどに出てきます。灯台の右手にある塔はもしかしてアメダス?と思って灯台受付の方にお聞きしたのですが、アメダスではなく波高計だそうです。

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日本にはたくさん灯台があるのですが、中に入って上まで登ることができる灯台は少ししかありません。そういう灯台に行ったときは必ず登ってみることにしているのですが、この灯台の階段にも犬吠埼の灯台で見た おなじみの励ましの言葉が書かれていました。

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灯台からの眺めです。さすが最南端の灯台。南を見ると美しく雄大な太平洋が広がっています。言葉にならない感動が湧いてきます。高いところから雄大な自然を眺めるのは最高です。

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こちらは大島にある樫野崎灯台です。中に入ることはできませんが、左の螺旋階段を上って登ることができます。

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位置的なこともあるのでしょうか、手に取るように雄大な眺めを堪能することができました。ここは昔トルコの軍艦エルトゥールル号が難破したところ。付近の人々が必死の救助活動をしたと言うことで、今なおトルコとの友好の拠点になっています。こんなに岩礁があるのですから、状況をよく知らない軍艦が悲劇を起きたのでしょう。でも今は、ただ美しい景色として印象に残る風景でした。

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ねっ、本当にきれいな海でしょう? 激しく岩を打つ波を見ていると時のたつのも忘れてしまいそう。橋杭岩、潮岬灯台に続き、ここでも時間を取り過ぎたようです。

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トルコ軍艦遭難慰霊碑です。遙か昔の恩誼を今なお忘れることなく、5年ごとに記念式典が開かれています。いいですね、こういった国と国の友好のつながりは・・・。こんな関係が世界中に拡がっていけば、国家間の争いはなくなっていくのではないかと考えさせられました。尤も、恩誼を感じる感性を当事国が持つことが前提ですが・・・。恩を忘れて自国の利益のために助けてもらった島の領有権を主張するような国に、そういったことを期待すること自体が無理ですものね。

50周年の紀南プチ旅行 その1 橋杭岩 (和歌山県串本町)

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10数年ぶりに訪れた橋杭岩です。これまで橋杭岩は通過地点だったため、あまりゆっくり見学したことはありませんでした。今回は伴侶と一緒になって50周年を記念した小旅行。近場でのんびりしようと言うことでやって来たので、心ゆくまで雄大な景観を楽しむことができました。潮が引いているようだったので、早速磯遊び?を楽しんでいらっしゃるお方が一名。いい年をして・・・。周りを見てご覧よ、そんなところまで行っている人はだれもいないよ。

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穏やかな海と言っても、橋杭岩の外側は大洋の荒々しさを見せているようです。橋杭岩の伝説が書かれていたので、それを転記しておきます。 きっちりと読んでいらっしゃる方はいらっしゃらなかったようですので・・・。

橋杭の立岩伝説 昔々、弘法大師と天邪鬼が熊野地方を旅したときのことです。  天の邪鬼は弘法大師と話をしているうちに次第に大師の偉大さに圧迫されるように感じていました。我こそは世界一の知恵者であると自負している天の邪鬼は、なんとかして弘法大師の鼻をあかしてやりたいものと考えた末、妙案が浮かびました。「弘法さん、大島はご覧の通り海中の離れ島で、天気の悪い日には串本との交通が絶え島の人は大変困るそうですが、我々はひとつ大島と陸地との間に橋を架けてやろうじゃありませんか。」と誘いをかけました。 「それが良い、それが良い。」と弘法大師も早速賛成しました。「ところで、二人いっぺんに仕事をするのもおもしろくない。一晩と時間を限って架けくらべをしましょう。」と天の邪鬼は言いました。 いかに偉い弘法大師でも、まさか一夜で架けることはできまい。今にきっと鼻をあかしてやることができると天の邪鬼は内心喜んでいました。
いよいよ日が暮れて弘法大師が橋を架けることになりました。一体どうして架けるのだろうと、天の邪鬼はそっと窺っていると、弘法大師は山から何万貫あるかわからない巨岩をひょいと海中に立てています。2,3時間のうちに早くも橋杭がずらりと並びました。天の邪鬼はこの様子を見て、「大変だ!大変だ!この調子でいくと夜明けまでには立派な橋ができあがる。」とびっくりして、何か邪魔する方法はないかと考えた末・・・。 「コケコッコー」と大声で鶏の鳴き真似をしました。すると弘法大師は「おやもう夜が明けたのか?」と自分の耳を疑って聞き耳を立てていると「コケコッコー」やはり鶏の鳴き声がしました。弘法大師は本当に夜が明けたのだと思ってついに仕事を中止してしまいました。そのときの橋杭の巨岩が今に尚残っており、列岩の起点には弘法大師の小宇が祀られているそうです。

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橋杭岩もアップにしてみると鋭く切り立った岩に迫力を感じます。 ここで橋杭岩の成り立ちについての説明が書かれてあったので、簡単に書いておきます。

①元あった泥岩の層の間にマグマが貫入し冷えて固まって火成岩ができる。②海底の隆起により浸食されやすい泥岩は削り取られて、火成岩が露出してくる。③波による浸食が進み海側が深くなる。④大地震のとき発生した津波が崩れた火成岩を陸側に運ぶ。その結果、幅15m、長さ約900mにわたって橋脚のような巨岩が、紀伊大島に向かってまっすぐに並んでいます。⑤海岸に散在している岩は、橋杭岩が壊れたかけらです。橋杭岩から離れたところにある大きな岩は巨大地震による津波で運ばれたものと考えられています。

なるほど、それで磯に黒い泥岩があったんだと納得。

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橋杭岩の全景を見ようとあちこち歩き回った末、橋杭岩の根っこに当たる弘法大師堂へ向かう途中で撮った写真です。荒々しい景色も、植物が入ることで優しい風景のように感じられるのが不思議です。でも、右にある大きな岩で、それより向こうの岩の列を見ることはできませんでした。

双子座の流星群は写せなかったけれど・・・

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12月15日、双子座の流星群が極大になるとの情報があったのですが、あいにく15日の天気予報では天気が悪くて見えないだろうとのこと。それで前日の14日夜に見ておこうと、寒い中空を見上げていたのですが、なかなか流星を見ることが出来ません。それで、ただ空を見上げているのも詮なきこと。一度星空を写真に撮ってみようという野心がムラムラと湧いてきました。もしかして、流星が写ればしめたものと言う淡い期待もあって・・・。それで、三脚を持ち出してきて分かりやすいようにオリオン座の方向にカメラを向けて撮ったものです。何枚か撮ってはみたのですが、どれにも流星は写っていませんでした。もっと長時間露光にしておけば良かったのかなと思ったのですが、そうすると日周運動の関係で星が線状に写ってしまいます。20秒ぐらいなら、星空らしく写るかなと思い、何回かの20秒に賭けてみたのですが結果はダメでした。それはちょっと残念だったのですが、久しぶりに見上げる星空に感動しました。 「冬の星座」という歌、ご存じでしょうか。最近も学校で習っているのでしょうか。私の大好きな歌の一つなのですが、冬の星空を見上げていると、つい口ずさんでしまいます。

♫ こがらしとだえて さゆるそらより ちじょうにふりしく くすしきひかりよ ものみないこえる しじまのなかに きらめきゆれつ つ せいざはめぐる ♫

♫ ほのぼのあかりて ながるるぎんが おりおんまいたち すばるはさざめく むきゅうをゆびさす ほくとのはりと きらめきゆれつつ せいざはめぐる ♫

とまあ、こんな歌なんですがね。失礼とは存じますが、歌詞の意味お判りでしょうか。大きくなるにつれ語彙も増えてくると・・・

木枯らし途絶えて 冴ゆる空より 地上に降り敷く 奇しき光よ ものみな憩える静寂の中に 煌めき揺れつつ  星座は巡る          ほのぼの明かりて 流るる銀河  オリオン舞い立ち スバルはさざめく  無窮を指さす北斗の針と  煌めき揺れつつ  星座は巡る

と漢字を交えて表してみると歌詞がはっきり理解できるようになってきました。といった大人になってきてから歌詞の意味がはっきりと分かってきた歌です。習った時は、意味も判らず唄っていたのですが・・・。 こんな歌ってよくありますよね。今でも歌詞を見ずに歌えるのですが、もし間違っていたらごめんなさいです。

もしかして、この歌がスバルの車一辺倒になった一因なのかも知れません。いわゆるスバリストという・・・。何台乗り換えたかな。今乗っている車で終わりになるのかなと思うとちょっと寂しい気持ち。出来たらもう一度、乗り換えてみたい・・・。

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ついでと言っては何ですが、オリオン座を拡大してみました。たくさんの星が写っています。こんな星空、大都会で見ることはまず不可能でしょうね。田舎に住んでいる者の特権かな。若い頃、毎年のように登っていた北アルプス。その山行の最後の日、暗くなるとマットをテントの外に持ち出して寝転んで星空を見上げ、その美しさに感動した時のことを思い出しました。こんな星の数なんて比べものにならないほどの満天の星空を・・・。

投稿してから気がついたのですが、写真が暗くて見えにくいですね。写真をクリック、拡大してご覧くださいませ。ごめんなさいです。

等彌神社の紅葉 おまけ その2 石碑など (奈良県桜井市)

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手水舎にいらっしゃる亀です。よく見かけるのは龍ですが、ここでは亀さまが参拝者を出迎えてくれます。これを見た伴侶「亀なんて珍しくない?可愛い~」だって。でもこの亀さん、ちょっと変わった亀さんのようです。どこが変わっているか判りますか?それは耳があるからです。やはり神亀だからでしょうか。

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「草もみじ友の声かと虫をきく」

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「さきに来て等弥のおん神をろがみし友につゞきてわれもおろがむ」   右に見えている碑は堀口大学から佐藤春夫に宛てた手紙です。内容は、二人は二十歳になる前からの友達で、佐藤春夫の句碑を建てるに当たって、一緒に大学の碑も建ててくれることへのお礼のようです。固い友情で結ばれていた二人なのですね。

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「大和にはみささぎ多し草もみじ」  これが佐藤春夫の句碑で、上の2基の碑は堀口大学のものです。刻まれている和歌や俳句は、多分間違っていないと思うのですが、もし違っていたらごめんなさいです。

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「とみ山のかの面この面をまたかくし 時雨は夜の雨となりけり」 保田与重郎という方の和歌です。モダンな感じのする歌碑です。作者は初めて聞く名前なので調べてみると、桜井市生まれの文芸評論家(明治43年~昭和56年)だそうです。

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この歌碑は読みづらい。刻まれているのは、万葉歌人・坂上郎女の「妹が目を 跡見の崎の 秋萩は この月ごろは 散りこすなゆめ」 万葉集八ー1560。 なぜ判ったかというと、となりに大伴旅人の妹・大伴坂上郎女の歌との説明書きがあったからです。

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霊畤拝所の碑と左にあるのは万葉歌碑です。多分、昔はここから「霊畤(祭場)」が見通せて、霊畤を遙拝することが出来たのでしょうか。今はご覧のように木々が生い茂り、見通すことが出来なくなっています。左は万葉歌碑です。「窺良布 跡見山雪之 灼然 恋者妹名 人将知可聞」 と万葉仮名で刻まれています。「うかねらふ 跡見山雪の いちしろく 恋ひば妹が名 人知らむかも」 (うかねらふ)は跡見の枕詞。跡見(とみ)山の雪のように 目立つほど 恋したらあの娘の名を 人が知るだろうな。良いですね~、若い人の恋のときめきが感じられて・・・。ちょっと「霊畤」ではそぐわないような和歌であるように思うのですが、まあいいか。私達にもそんな時期があったんだなあと隣にいる伴侶を見たことでした。 さて霊畤に向かおうとしたのですが・・・

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行く手を阻むように倒れている木。右の方が地表に現れている根っこで、倒れた木から枝が伸びているようです。枝と言っても倒れた親木と同じぐらいの太さになっています。木の生命力に感心しながら超えようとしたのですが「この木、通せんぼしているみたいだよ。ここからまだまだ遠いんでしょう? 私は引き返すから一人で行ってきて」と尻込みする伴侶。そう言えば、ここまでくる途中、登ってきた道を振り返り、下る時のことを心配しながら登ってきていたっけ・・・。登りは普通に登れるのですが、下りになると、横で見ていてもおかしくなるほど下り道に弱いのです。いつものことですが・・・。一人で帰して転びでもされたら目も当てられない。丁度雲行きも怪しくなってきたようなので、一緒に下りることにしました。ちょっと残念だったけど・・・。と言う「通せんぼの木」です。

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紀鹿人の万葉歌碑です。「紀朝臣鹿人之歌 射目立てて跡見の岳邊のなでしこの花総(ふさ)手折りわれは行きなむ奈良人のため」(射目立てては跡見の枕詞)跡見の丘辺に咲いているなでしこの花を手折って奈良にいる人に持って行こう、という意味だと思います。奈良にいる人とは奈良の都に残してきた恋人なのか、愛する妻のことなのか判りませんが、いずれにせよ大切な人に見せてあげたいと言う優しい気持ちを詠んでいるのだとおもいます。万葉人の思いが伝わってくるようです。歌碑の横に積み上げられている割り木は、無視してください。割り木の長さからすると、多分紅葉のライトアップのイベントで雰囲気を盛り上げるため、篝火などに使った残りかも知れません。

長々と等彌神社の紅葉にお付き合いいただきありがとうございました。等彌神社はとっても神秘的で魅力的な神社のように思います。談山神社や聖林寺にお出かけの節は是非お立ち寄りくださいませ。

等彌神社の紅葉 おまけ その1 狛犬 (奈良県桜井市)

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前回のブログの冒頭、伴侶が気付いたあることなのですが、お判りですか? ヒントは「この狛犬、面白い!」です。 何が面白いかというと、舌を出していると言うのです。舌を出している狛犬って初めて見た。可愛い!」と仰っているのですが、皆さんはどうですか。ということで今回は彼女は紅葉と狛犬に注目しながらのお参りになったようです。彼女はよくこんなつまらないじゃあなかった、普通は気がつかないことによく気がつくのです。その割には肝心なことは抜けていたりして・・・。

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ほら、この狛犬も舌を出している。可愛らしいと思わない? 「可愛らしい」を押しつけられても素直に可愛いとは思えない私でした。

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ほら、この狛犬も・・・。新しい発見に夢中になっている伴侶でした。そうそう、たくさんある歯にもご注目ください。丹生川上神社上社の狛犬を思い出しました。

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ねっ、これもでしょう? この神社の狛犬には何か謂れがあるのかしら・・・。でもペアで舌を出している狛犬はいませんでした。そんなこと、当たり前ですよね。阿形と吽形ですものね。

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こちらは小さな狛犬です。「これも可愛い!」ですって。 でも私には小さな座敷犬が鼻にしわを寄せて怒りまたは不快感を表しているようにしか見えません。こんな表情をする超小型犬いますよね。こんなのにちょっかいを出したら、噛みつかれそうな・・・。そんな犬でも可愛らしいと言うの?

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こちらは先の小さな狛犬とペアになっているものです。こちらも可愛らしい顔をしているようには思えません。彼女に言わせると、小さくて表情が良く表れているから可愛らしいのだとか。それじゃあまるで「「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」の清少納言の世界じゃない。古来より女性はこんな感覚を持っているものなのかしら。そう言えば、テレビなどで何かと言えば「キャー、可愛らしい!」と宣う女性タレントがたくさんいたっけ・・・。

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これは狛犬ではないので、おまけのおまけです。 確か下津尾社だったと思うのですが「あれっ、石の上にキノコが生えてるよ。可愛らしい~」「ねえ、これって珍しくない。石の上に生えているんだもの・・・」 なるほど珍しいキノコかも知れない、形も変わっているし・・・とあちらこちらと角度を変えながら撮っていたのですが・・・。その様子をじっと見ていた伴侶、おもむろに「これは本物のキノコじゃないよ。作り物のキノコだよ。ほら」と指でつついて見せてくれた。何とキノコがツーッと石の上を滑るではありませんか。誰が何のために置いたのか判りませんが、こんな紛らわしいものを置くなよ。それと作り物とは気がつかず、真剣にカメラを構えて撮っていた私って馬鹿みたいじゃない。そうだ、それよりも、最初にこれをキノコだと教えてくれた張本人にも腹が立つ! ちょっとカチンときたキノコ騒動でした。 ところで「この右の植物、何という名前だったか覚えてる?」と尋ねたところ案の定「忘れた」ですって。「マメヅタだよ。また忘れたの?」とちょっぴり鬱憤晴らしをした私でした。なぜ「マメヅタ」にこだわるのかというと「宮滝周辺散策」と「犬鳴山」にその事を書いてあります。興味のある方はどうぞご覧になってくださいませ。