分かりそうで分からない五輪塔 その2 永井信濃守 (高野山・奥の院)

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井伊家霊屋の一段低いところにある五輪塔です。この五輪塔も何度か挑戦しているのですが、未だ未解決なのです。井伊家墓所に近いこともあって、井伊家ゆかりの人?と思ったこともあったのですが・・・。

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地輪に刻まれている文字ですが写真に撮って調べたらすぐ判るかも・・・・・と思えるほどだったのですが、そうは問屋が卸しませんでした。むしろ五輪塔と睨めっこしながらメモしてきた方がよく読めている感じです。「生国尾州知多郡今山城国淀 永井信濃守・・・三右衛門殿 専〇院殿・・・ 施主中〇〇左衛門・・・ 慶安九戊子夭八月四日」と無理矢理読んでメモしたのですが、一番ダメなのは「慶安九」と言う年は存在しないこと。慶安は1~5年なのです。干支で見ても戊子は該当しないし・・・。

三河生まれで淀藩城主、永井信濃守ということで、すぐに解決と思っていたのですが・・・。永井信濃守は淀藩初代藩主・永井尚政のことと思ったのですが、彼の没年は「寛文八年戊申」のようです。刻まれている文字はどう見ても「寛文八戊申」とは読めないように思うのです。それで永井氏の係累で当てはまりそうな人を当たってみたのですがダメでした。読み方が完全に間違っているのでしょうか。前回に引き続き、どなたかお助けくださればうれしいです。

前回は文字ははっきり判るものの、どなたか特定することができない五輪塔。今回は文字は読みにくいものの、読み取れた内容からすると、どなたの五輪塔か特定できそうなのにできない五輪塔。ということで判らない二基の五輪塔を取り上げました。世の中、なかなか思うようにはいかないものですね。

4 Responses to 分かりそうで分からない五輪塔 その2 永井信濃守 (高野山・奥の院)

  1. I sense peace, mystery and wonder. 🫧

    • asamoyosi says:

      Thank you for your comment.
      It is said that there are more than 200,000 graves in Koyasan. Only a few of them can be identified by the name of the person enshrined. Even if the graves are built by their descendants, they will be forgotten in time as the years go by…. It makes me a little sad, but I guess that is the way it should be. The impermanence of all things.

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