ハイビスカスの花が咲きました

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やっとハイビスカスの花が咲きました。昨日の夕方、黄色っぽく色づいた蕾も大きくなっていたので、もうそろそろかなと思っていたのです。こんな色だったのかと言うと、伴侶は「ピンクだということは知っていたよ」ですって。そう言われてみて気がついた。鉢に刺してあるプレートにはちゃんとピンクの花がプリントされていることに・・・。プレートに間違いはなかったと言うことです。

このハイビスカス、去年の九月の末にトマトの季節も終わったことだし、次に何か植えようとホームセンターに行ってみたのですが適当なものがない。それで、年内は収穫できますと書かれていたエンドウ豆を買うことにしたのですが。そのとき「ご自由にお持ちください」と書かれていた花期の終わったこのハイビスカスの鉢が置かれていたのです。ご自由にとは書いてあるものの一応断っておこうと店の人に「もらっていって良いですか」と聞くと「こんな花のない木、どうするの」と言われながらもらってきたものです。どんなもんだい、大事に育てるとこんなきれいな花が咲くんだよとちょっと自慢したくなるような気持ち。ハイビスカスは以前、石垣島旅行をした時、いろいろな花があることにびっくりした思い出があるのです。ですから放っておかれているハイビスカスを見てちょっと可哀想という気持ちが湧いてきたのです。

同じ南の島に生えているガジュマルもそうでした。売れ残って枯れかけたガジュマルが二鉢、100円だったか50円だったかで並んでいるのを買ってきたことがあります。これも今はずっと昔から我が家に君臨しているガジュマルと見劣りしないぐらいに元気に育っています。伴侶も私も南の島の植物には人一倍、思い入れがあるのです。

よろしければ「石垣島・竹富島巡り ハイビスカス」、「宮古島巡り 島の植物 その1」をクリックしてご覧ください。

ミノムシ

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郵便受けにミノムシがぶら下がっているのを見つけました。伴侶にその事を言うと、「ずーっと前からぶら下がっているよ」 と素っ気ない返事。と言うことは、もう羽化してミノガになった残りかも知れません。何年か前、カエデの細い枝にぎっしりと小さなミノムシがぶら下がっているのに気がつき、一つずつ摘まんで駆除するのに大変な思いをしたことがあったのですが、最近はそんなことはありません。ミノムシが激減しているというニュースを聞いたことがあるのですが、そのせいでしょうか。

ミノムシと言えば子供の頃、中から幼虫を引っ張り出して、色紙を小さく切り刻んだ中に入れて美しい簔を作らせて遊んだ記憶があります。動物虐待ともとれるそんな遊び、今は流行らないかも知れませんが、いろいろ工夫してきれいな蓑を作らせたことも懐かしい思い出の一つになっています。昔は身の回りにあるものは何でも遊びの対象になっていたのかも知れません。虫にとっては迷惑極まりないことかも知れませんが・・・。

ウスベニタチアオイ

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何年か前から植木鉢に生えている植物なのですが、今年初めて花をつけました。2~3cmほどの小さな花ですが、なかなか可愛らしい。多分、ウスバナベニアオイだと思うのですが、どうしてこんな花がやってきて、植木鉢に根付いたのか・・・。はじめ伴侶が例の「G・・・レンズ」で撮ってみて「ゴマの花と出ているよ。でも絶対ゴマの花じゃないよね」ということから、手動?で調べた結果ウスベニタチアオイの名に行き着いたのです。

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根っこはこんな感じです。力強い感じがするでしょう? 茎は上に向かってすうーっと一直線に伸び、上の方に花をつけています。

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我が家にはこういった出所不明の植物がいくつかあります。あれっ、これってちょっと変わっていない?何だか只者ではない感じ・・・。ということで二人の意見の一致を見た植物はしばらくは残しておいて様子を見ることにしているのです。こうして、それなりの成果?が出るものもあるのですが、えーっ、あの雑草だったのかと、大事に育ててきたことが馬鹿みたいと思うものもあります。ウスベニタチアオイはヨーロッパ原産で、根っこは古くから薬効があるということで栽培されてきたようです。そんな植物がどういった経緯で我が家の植木鉢にたどり着いたのかは謎です。植物の繁殖力っておもしろいものですね。田舎だからでしょうか。都会に住んでいらっしゃる方で、こういった経験をなさった方、いらっしゃいますか?   追記:ウスベニタチアオイと思ってこの記事を書いるのですが、もし間違っていたらごめんなさいです。間違っているようでしたら、是非お教えくださいませ。

播磨路プチ旅行 おまけのおまけ

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無事、書写山のロープウエイを降りて駐車場の車に向かう途中、「ねえ、見て見て。このトクサ、頭がツクシンボみたいになってるよ。家に生えているトクサにもこんなのがついていたっけ・・・」そう言われてみると、成る程こんなトクサは見たことがないような・・・。これは珍しいと、いろいろと見る角度を変えて撮った写真の内の一枚です。そして家に帰って確かめてみると、ちゃんと同じツクシンボの頭のようなものが出来ていた。毎日の水やりの他、庭を通るたびに見ているのに二人とも気がつかなかったようです。このトクサ、「ご両人、そろそろ危険信号とちゃう?気イつけなはれや」と警告を与えてくれたのかも知れません。テレビのCMによく出てくるDHA・EPA・ルテインといったものをしっかり摂らなければいけないのかな? いや~、ほんと、見ているようで見ていないものって結構あるものですね。

念のためツクシとトクサを調べてみたのですが、ツクシもトクサも同じトクサ科の植物でした。だからトクサの頭を見てツクシンボを思い出したんだと納得。見つけた方はまだまだ冴えていらっしゃるのかも・・・。DHA・EPA・ルテインなどのが必要なのは私の方かも知れません。

播磨路プチ旅行 書写山 その3 本多家霊屋

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食堂から撮った本多家霊屋です。前回来た時は門は閉まっていたのですが、今回は中へ入ることが出来ました。中にあった案内板の内容の一部を記しておきます。

「本多家と書寫山圓教寺」
書写山第一の霊地である大講堂横に「本多家霊屋」として十一基の墓碑が、土塀に結界されて祀られている。西岸寺殿忠勝公(一六二六)、大乾院殿忠政公(一六三一)、法輪院殿政朝公(一六八五)、高松院殿政長公(一六八五)、徳宗院殿忠国公(一七〇四)は、立派な宝形造りの霊屋内に五輪の石塔でまつられています。忠勝公の霊屋横にある大きな五輪塔にまつられているのが、本多平八郎忠刻公とその子幸千代君の墓碑で、他には大谷三兵衛政明(政朝の伴)、宮本三木之助(忠刻の伴)、宮田角兵衛(三木之助の伴)、岩原牛之助(忠刻の伴)以上四名の切腹殉死者の墓碑がともにまつられている。
霊屋五棟はほぼ同一の構造形式である。江戸初期から中期にわたる廟建築として県下でも類例のない貴重な遺構である。
圓教寺は記録によると、天正六年(一五七八)秀吉の乱入までおよそ二万六千石あったが、秀吉に全てを没収され、後に五百石だけを施入された。江戸時代に八百三十三石となり、すでに鎌倉・室町時代の寺力がなかった。元和三年(一六一七)に姫路に入部してきた本多忠政は、元和八年(一六二二)摩尼殿前石橋・講堂・金堂の修復にかかり、代々の城主も圓教寺修復に尽力した。・・・

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左が徳川四天王の一人、本多忠勝の霊屋です。忠勝は上総大多喜藩主から伊勢桑名藩主に就いた方です。高野山・奥の院にも祀られています。よろしければ「本多忠勝墓所」をご覧ください。

真ん中が本多忠勝を初代とする本多家2代・本多忠政の霊屋です。父・忠勝の跡を継いで桑名藩主に就きますが、後に播磨姫路藩に移ります。本多忠政の五輪塔と忠政の正室で徳川家康の孫(家康の嫡男・信康の娘)熊姫の五輪塔が高野山奥の院にあります。よろしければ播磨姫路初代藩主・本多忠政墓所本多忠政の正室・熊姫(妙高院)の五輪塔をご覧ください。

忠政の嫡子・忠刻が若くして亡くなったため、2男の政朝が本多家3代となり播磨姫路藩主に就きます。右が政朝の霊屋です。政朝の兄・忠刻の正室は元・豊臣秀頼の正室だった千姫です。千姫は徳川家康の孫・2代将軍徳川秀忠の娘の千姫ですが、ここには忠刻の五輪塔はあるものの、千姫は祀られていないようです。しかし、高野山奥の院には立派な五輪塔が建てられています。

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政朝亡き後の跡継ぎは政長でしたが、まだ幼少と言うことで政朝の従兄弟・政勝が本多家4代として姫路藩主の座に就き、その後大和郡山藩へ移ります。政勝のあとは本多家5代として政長が継ぎ、二代大和郡山藩主の座に就くことになります。この霊屋は5代・政長のもの。本多家4代・本多政勝はここには祀られていないようです。高野山奥の院には彼の大きな五輪塔があります。よろしければ大和郡山・本多家五輪塔をご覧ください。要するに政長のリリーフであった4代・政勝は本多家の霊屋には入れてもらえなかったようです。本多家の庶流ということだからでしょうか。

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本多家6代目の本多忠国の霊屋です。忠国は水戸光圀の甥に当たる人で5代政長の養子になり、大和郡山藩主として本多家6代目を継ぎます。その後、福島藩に移りますが、再び姫路藩主としてこの地に戻ってきた方です。

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真ん中に見えているのが早世した2代・忠政の嫡子で千姫の夫である本多忠刻の五輪塔です。斜めからしか撮れなかったので地輪に刻まれている文字は良く分かりませんが、圓泰院殿・・・・雄大居士の文字が読み取れるように思います。高野山に忠刻の五輪塔はあったかしら・・・。忠刻の五輪塔の向こう側、灯籠の丁度後ろ側に忠刻と千姫の間に出来るも幼くして亡くなった幸千代の五輪塔があります。

播磨路プチ旅行 書写山 その2 三之堂へ

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折角ここまで来たのだから本堂(摩尼殿)から三之堂まで足を伸ばしてみようということでやってきました。さすがにここまで来るとちびっ子は「疲れた、もう歩けないよ~」と右下に見えているベンチに座り込んでいたのですが・・・。お兄ちゃんが食堂(写真左側の建物)の欄干から手を振っているのを見るや「僕も!」と走り出した。疲れていたんじゃないの? 訳が分からないまま放って置くわけにもいかず、後を追うことに・・・。

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食堂の欄干に登ったちびっ子、ベンチで一休みしている伴侶に向かって大きな声で「写真撮って~」だって。その声に、預かっていた皆の荷物を持ってやってきた伴侶です。これでは休むどころではなく、まさに重労働。カメラ(スマホ)を取り出して写真を撮っています。お疲れ様・・・。

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伴侶の撮った写真です。得意げに両手を挙げて万歳をしています。仕方なくお付き合いで手を振っている私です。気まぐれなちびっ子に付き合うのも大変です。それにしてもちびっ子のお兄ちゃんに対する対抗心には呆れてしまいます。はじめから自分の手に負えそうにないことは、すぐにお兄ちゃんに丸投げするくせに、自分でも出来そうだと思うことには対抗心をむき出しにする。気の良いお兄ちゃんは文句を言うことなく、付き合ってあげている。本当に気ままなちび坊主です。でもいつかはお兄ちゃんの存在の大きさに気がつくだろうと思っています。 気付かなければ「アホじゃー!」 私の心の叫びでした。

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ロープウエイの駅に向かう途中、見かけたお地蔵様です。そのまま行き過ぎようとしたのですが、お兄ちゃんは気になるようで、見てくる!と坂を登り始めました。するとちびっ子「僕も!」だって。おいおい君は疲れていたんじゃないの?

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何を考えているんでしょうね。このあたりから、また急に元気を取り戻したようです。ロープウエイの駅近くにある鐘楼まで戻っててくると「もう一回突いてくる。一人でやるから誰も絶対に手伝わないでね!」と走って行こうとする。伴侶が「あっ、戻り鐘は突いてはだめなんだよ」と言うことなんか聞く耳を持たない。無茶苦茶に引き綱を引っ張り回していましたが、そのうち撞木が鐘に当たって小さくゴン。「鳴った鳴った」と満足げに帰って来た。一事が万事こんな調子で播磨プチ旅行を終えました。私達も子育てはしたのですが、こんな気疲れしたことあったっけ。多分若かったんでしょうね。その時は意識していなかったのですが、今になって思うと、若さって、たいしたものだったんだ・・・。これが今回の旅の結論です。

播磨路プチ旅行 書写山 その1

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智頭急行を見た翌日は書写山に行くことにしました。お兄ちゃんは2度目のロープウエイですが、ちびっ子は初めて。乗る前から怖い怖いと言っていたのですが、乗ってからも必死に手摺りを握っています。空中にぶらさがっていることが怖いのですから、手摺りを握っていてもあまり効果はないと思うのですが・・・。

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「わーっ、高くなってきたよ~。外を見たくないよ~」と座席に座ってじっとおとなしくしているちびっ子。折角の見晴らしの良い場所を放棄することに・・・。日頃偉そうな口をきく割には臆病者のちびっ子です。なんやかんやの大騒ぎの末、山頂にたどり着いたのですが、ロープウエイから降りると、すぐに元のわんぱく坊主に戻っている。あちこち走り回り、鐘を突くやら、木の実を拾うやら・・・。目が離せない。ちなみに帰りのロープウエイではこんな感じ。

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すれ違うロープウエイに小さく手を振る余裕が出来たようです。鉄道ファンとロープウエイとでは同じ乗り物でも全然違うのでしょうね。良く分かりませんが・・・。子供の順応性は凄い!そう言えば四国88所巡礼の時乗った雲辺寺のロープウエイ。あれは大人の私でもちょっと怖かった。床が一部抜けているのですから・・・。よし今度機会があれば、あのロープウエイに乗せてやろうと心に決めたことでした。子供を怖がらせて何になる。いい年をして、おまえもワルよのう・・・。

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圓教寺へ行く途中、見晴らしのよいところで、ボランティアの方がいろいろ説明をしてくれていました。ここから姫路城が見えるそうです。どこか分かりますか?真ん中の小さな山の左の方に見えているのですが・・・。言われてみても良く分からないですよね。写真に撮って拡大してみることにします。

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画面中央、右の稜線を降りたところに見えているのですが、お判りでしょうか・・・。天気が良すぎてもよく見えないそうで、丁度今日ぐらいのお天気が一番良いとのことでした。ちびっ子たちも神妙にお話を聞いていたので、ご褒美に自作のオニヤンマのアクセサリーをつけてもらって大喜び。その上、本堂に上る階段の数を数えて正解なら賞品をあげるからといわれて、もう大張り切り。

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頂いたオニヤンマのアクセサリーです。手の込んだ自作のオニヤンマだそうです。ちびっ子の手には松ぼっくりやどんぐりなどの木の実を入れるビニール袋。準備万端整えて、さあ出発! いつもなら疲れた、おんぶして!というのですが、今回は親切なボランティアさんのおかげで、元気いっぱい歩き切りました。帰りにお兄ちゃん、階段の数を言うと「正解!」と褒めてもらってシャボン玉セットをもらっていました。こちらのちびっ子は間違った数を言っていましたが、「数えようとする気持ちが嬉しいね」とこれも同じ賞品をもらっていました。親切なボランティアがの方、本当にありがとうございました。彼らの良い思い出になったことと思います。これからもどうぞお元気で活躍なさってくださいますように・・・。

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私達には西国33所巡礼に来て以来、2度目の書写山・圓教寺です。もうあれから9年も経っているのですね。本当に月日の経つのが早く感じられるようになりました。

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本堂から下を見下ろしたちびっ子たち、スゲー、こんなに高いとことまで登ってきたんだ!と感動しまくり。何はともあれ無事お参りできたことに感謝です。

播州路へプチ旅行 智頭急行・彼らの目的地・大原駅にて

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ちびっ子達に連れられて大原駅に入ってみた。ご覧のような田舎の駅・・・。「いい感じでしょう?」と言われても「そうだね~」としか返事のしようがない、山間の駅・・・。

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駅に隣接して智頭急行・大原車両基地があります。どうやらちびっ子達のお目当てはこの車両基地だったようです。あの車両がどうの、この車両がどうのといろいろ解説してくれるのですが・・・。私には左の車両が除雪車だろうと言うことしか分からない。以前、宮本武蔵駅を訪れた時、雪が積もっていたので、そういうときに活躍するのだろうと言うことぐらい。車両観察を終えたちびっ子達、次は・・・

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見て見て!車両を洗っているよ。手作業で・・・、と感動した様子で盛んにシャッターを切っている。私もつられて撮った写真です。洗車と言えば私の自動車、毎回手作業でやっている事を知らないのかしら。自動洗車機なんて使ったことがないよ。都会の子は車を手作業で洗っているなんてこと、見たことないのかしら・・・。今度和歌山に遊びに来た時、洗車を手伝わせてやろうかしら。見学を終えたちびっ子達、駅の切符売り場に置かれているグッズからそれぞれ気に入ったものを選び大原駅を後にしました。結局、ちびっ子たちと感動の共有は出来なかったのですが、まあいいか・・・。

注:本当はこの記事は前回あげた「平福駅にて」の前に載せなければならないものでした。順番を間違えてしまってごめんなさい。これもこのところの猛暑のせいかしら・・・と責任転嫁をする私でした。猛暑といえば今日明日がピークのようです。皆様、安全にお過ごしくださいますように。

播磨路プチ旅行 智頭急行・平福駅にて

平福 (2)

播磨路の旅のはずが美作路まで足を伸ばすことになった今回の旅、大原駅から播磨国に予約してある宿に戻る途中、平福駅に立ち寄りました。「あっ、丁度列車が止まっているよ。あの列車を見送ってから宿に行こうね」と提案。ところが待てど暮らせど発車する様子がない。「これはまだ出発しないよ」「どうして?」「だって信号が赤になったままだもの。もしかして対向待ちかも・・・」「それじゃあ、その列車も写真に撮れるね」「多分・・・」ということでカメラを構えて待つことにしました。

平福 (3)

「来たよ!」の声にカメラを構えてまずパチリ。迫力のある良い写真を撮らねばと張り切って・・・

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続いて2枚目をパチリ。と、ここまでは良かったのですが、3枚目を取ろうとすると・・・

平福 (5)

3枚目はこれ!どうです、超迫力写真だとは思いませんか?思いませんよね。迫力を感じたのは写真を撮っていた私だけ。通過時の轟音と目の前を通り過ぎていく列車の巨大さに、いい年をして驚いていたのです。「さあ、これで止まっていた列車も出発するから、その写真を撮ったら出発しようね」と言うと「でもまだ出発しないかも・・・。信号が赤のまま変わらないもの。もしかしたら反対側からの列車待ちかも知れないよ」それを聞いて、それならば今度こそ超迫力写真を撮らねば・・・。

平福 (6)

ところがそれもまた空振りに終わったようです。一口に「撮り鉄」と言ってもなかなか奥深いものがあると思いながら、やっと出発する列車を見送って車に戻ろうとした時、「そうだ、連写モードにすれば良かったんだ」と気がついたのですが、時すでに遅しです。

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そんな私をじっと無言のまま冷ややかな目で見送ってくれたアマガエル君です。よし、この次は絶対に超迫力の写真を撮ってやる!と心密かに誓った私です。 余談ですが、平福駅で写真を撮っていたのが約15分間。私達が写真を撮り始める前からその間ずっと通過待ちの列車は止まっていたので15分以上待っていたことになります。その時間が長いのか短いのか・・・、田舎ではのんびりと時間が経っていくと思った方がいいようです。同じ田舎に住んでいる私が改めて思ったことでした。

今年も風蘭が咲いています

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今日は7月12日、29回目の義父の命日です。義父がまだ元気な頃、一鉢の風蘭を分けてくれました。義父が亡くなってから、残してあった風蘭も我が家に引っ越してきて元気に育っています。一度株分けをしたのですが、もうそろそろ2回目の株分けをしなければ・・・と思っています。我が家にある植物で一番手間のかからない植物が、この風蘭。鉢植えにして木の下に吊しておくだけでOKという、見かけによらず強靱な植物です。手入れと言えば思いだしたようにたまに水をかけることと、秋になって葉の上に落ち葉が積もっているのを吹き飛ばすだけ。そうそう、たまにアリが鉢の中に巣を作ることがあるので、鉢ごと水の中に漬けてアリを駆除するぐらいなことです、それでも、1年に一回、命日に合わせるかのように可愛らしい花を咲かせ、夜には甘い香りを周囲に漂わせてくれています。

風蘭2

この花を見るたび思い出す言葉は「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」 無愛想で口数の少ない義父でしたが、なぜか私とは気があったようで、いろいろなことを話しました。伴侶にその事を言うと「私はそんなことは聞いていない」ですって。立場を考えてみなさいよ。実の娘なら当然分かっていなければならないことでも、娘婿ということで話しておきたいことがあったのだと思います。そんなことも分からないのかな~、情けない。その時はピンとこなかったものの、亡くなってから義父の願いが身にしみて分かるようになり、精一杯のことはしたつもりです。あの世があるなら、もうすぐ義父と会うことになると思いますが、その時は例の無愛想な表情で「よくやってくれた」と言ってもらえるのではないかと思っています。 「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず・・・」 私にはちょっと寂しいような、それでいてほんのりと暖かい気分にしてくれる大切な花です。今日はこの風蘭を仏壇にお供えしようと思っています。