大和郡山 本多家五輪塔 (高野山・奥の院)

本多政勝五輪塔

一番石塔・崇源院の五輪塔へ行く途中、左にある大きな五輪塔です。標柱等の案内はないのですが、手持ちの地図には大和郡山藤原家供養塔、紀伊續風土記には「本多内記大一基」、紀伊名所圖會には「本多内キ」と出ています。地輪の右には大和郡山城主藤原・・・・内記政勝・・・、中央の戒名は長徳院殿前拾遺泰〇〇和道永大居士と刻まれているので本多政勝の五輪塔に違いないと思います。本多家のルーツは藤原氏だそうですので地図には藤原家供養塔と出ているのでしょう。政勝は徳川四天王の一人・本多忠勝の孫に当たる方です。以前取り上げた葛城市にある傘堂は、本多政勝の菩提をと弔うため建てられたもの。高野山では奥の院のこんなところに祀られていたのですね。 傘塔については2012年6月11日のブログ「傘塔・傘堂・建掛塔」を、本多忠勝については2016年12月10日のブログ「本多忠勝墓所」をごらんください。 これまで個々に取り上げていたブログですが、それらの繋がりがわかってくるのは楽しいものです。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください