世尊寺を訪ねて その1 (奈良県大淀町比曽)
2026年9月12日 6件のコメント
皆様、世尊寺ってご存じですか?日本書紀にも記載されている聖徳太子所縁のお寺で、比曽寺跡は國の史跡に指定されています。世尊寺と比曽寺の関係は?と思われるかも知れませんが、このお寺は昔から吉野寺、比曽寺(比蘇寺)、現光寺、栗天奉寺(りつてんぽうじ)、そして現在の世尊寺と寺名を五回も変えた珍しいお寺なのです。それでは歩を進めて参りますね。
世尊寺の山門です。右に不許葷酒入山門の石碑が・・・。これは禅宗のお寺によく見られるものです。世尊寺は曹洞宗のお寺なのです。左には史跡比曽寺跡の石碑が立っています。
山門をくぐると右手に神社が鎮座しています。お寺の中に神社というと、神仏習合の名残なのかも知れません。
案内書には鎮守社と書かれている五間社流造の天照大神社です。江戸中期の建造とされているようです。鎮守社と言うぐらいですから、村の守り神なのでしょうか。 村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 どんどんひゃらら どんひゃらら 朝から聞こえる笛太鼓。もうすぐ秋祭りが始まるのかしら・・・。
中門です。扁額には山号・霊鷲山の文字が刻まれていて荘重な雰囲気を醸し出しています。中門をくぐると・・・
左が太子堂、右が本堂です。本堂へ続く石畳の左右には多分昔の堂宇の礎石と思われる石が並んでいました。このことから往時は相当大きな伽藍であったことが窺えるように思います。
本堂です。中には阿弥陀如来座像が本尊として祀られています。日本書紀に欽明天皇の御時に茅渟の海(大阪湾)に光を放って浮かんでいる楠の木が見つかり、それを引き上げ仏像を造って吉野寺に祀つり、放光楠像と言ったそうです。現在祀られている本尊はヒノキ造りですが、元のクスノキ造りの放光楠像としてお祀りしているようです。弥陀定印(上品上生)の印相を組まれた阿弥陀如来座像のスリムな体つき、左右対称の通肩の衣紋などを見たとき、思わず、あれっ、飛鳥仏みたいな雰囲気の仏様だねと伴侶と話したことでした。もちろんアルカイックスマイルや杏仁形の目ではないのですが、優しそうな眼差し、微笑まれているような口元には、いつまでも心静かに向き合っていたいような慈愛に満ちたお顔をなさっています。左には十一面観音立像が祀られていました。光背は下が緑の山で上が朝日に輝く空を壁面に描いているというモダンな造りでしたが、ライトアップすると、見事なほど古い観音様とぴったりとマッチしているようで、とても素敵でした。
聖徳太子をご本尊とする太子堂です。こちらの内部拝観は叶いませんでしたが、県の有形文化財(建造物)に指定されています。説明板の内容を転記しておきます。 世尊寺太子堂 聖徳太子を本尊として建立された堂で右手に柄香炉を持った太子十六才の孝養像が安置されていた 建立年代については詳らかでないが角屋の鬼瓦に享保七年(一七二二年)同九年(一七二四年)の瓦銘がみえ内部の虹梁絵様 蛙等の細部様式とも考え合わせて十八世紀前期頃に建てられたと考えられる。なお寛政八年(一七九六年)の修理札がありこれを裏付ける。この世尊寺太子堂のように仏壇部を角屋として突出させる形式は県内でもあまり例を見ないものであり興味深い建築といえる そのため平成元年三月十日奈良県指定文化財となった。
こちらは境内から見ると、中門左手に位置する鐘楼です。こうして回廊の一部に組み込まれている鐘楼も美しくていい雰囲気ですね。この鐘楼にまつわるお話は次回に書くことにします。