冬のサプライズ花火

前回ご覧いただいた秋のサプライズ花火ですが、文字通り突然のことだったので、うまく撮れませんでした。ところが今回、偶然に時間と場所の情報を手に入れることが出来たのです。それでカメラをちゃんと三脚にセットし準備万端整えて待ったいたので、前回のような無様な写真でなく、そこそこの写真を撮ることが出来ました。撮った写真の一部をご覧ください。ただ電線が映り込むことまでは計算に入れていませんでした。見苦しい黒い線が横切っているのはご愛敬ということで・・・

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題して「炸裂!」というのはいかがでしょう。

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おーっ!カラフル! 紙テープが飛び出すクラッカーみたい・・・

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カラフルな団子三兄弟・・・

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露出時間の関係で、こんなのが撮れていました。題して「夜の蝶」?

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これは誰がなんと言おうと「愛のハート」 です。

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ちょっと暗い感じがしますが、よく見るととっても幻想的で素敵な花火・・・

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ビッグバン・・・

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赤道が白い地球・・・、温暖化を想起させられるような。

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触手を閉じているイソギンチャク?

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ミノカサゴを思い出したのですが・・・

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三匹のミノカサゴ・・・。ちょっと無理かな?

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華やかな彩りはないのですが、迫力ある花火だと思います。私好みの花火・・・。まだまだ写真はあるのですが、この辺りでお開きにしたいと思います。

もうこれで今期のサプライズ花火は終わりでしょうね、いや、もしかするとクリスマスの頃にまたあるかも・・・。皆様の町はいかがですか? たくさんの駄作に付き合っていただきありがとうございました。

モミジにウグイス?

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「何だか小さな鳥が来てるよ。ジッ・ジッと鳴いていてあまり可愛らしい声ではないんだけど・・・」と伴侶の声。  とりあえずカメラをとりに行き「あの辺り・・・」と指さす方にカメラを向けてみたものの、木の葉や枝が動いているだけ。なかなか鳥の姿を捉えることが出来ません。やっとのことで撮ったのがこの写真。撮りながら、もしかしてウグイス?と思ったのですが、この季節にウグイスなんてやってくるのかしら・・・。2羽いたようですが一羽しか撮ることが出来ませんでした。撮った写真を確かめてみると、紛れもなくウグイス。ウグイスは以前何度か撮ったことがあるので、すぐに判りました。それにしても、この季節のウグイスの鳴き声って、全然ウグイスらしくない声で鳴くのですね。「梅にウグイス」、「モミジに鹿」という常識?を覆すような珍しい写真が撮れたと自画自賛しています。よろしければ「ウグイスの恩返し」もご覧ください。

今朝はとても冷え込み、初霜が降りていました。これからどんどん寒くなってきます。皆さま体調管理には充分お気をつけくださいますように・・・。

最上義光の弟・楯岡光直五輪塔 (高野山・奥の院)

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最上義光については「羽州山形太守最上義光公墓所」「最上義光殉死者を確かめに」などで取り上げたのですが、最上義光墓所の手前左にあるご覧のように整然と並んでいる五輪塔が気にかかっていました。最上義光の死に際し、殉死した家臣の五輪塔などが、まだ全部見つかっていなかったからです。今回、もしかして・・・、ということで行って見ることにしました。

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左端の五輪塔の地輪です。最上義光弟 為前甲斐守源光直神菩提? 〇聖山〇賢大居士 施主孝子山形孫市郎敬白 寛永六年七月三日 とあるように思います。この五輪塔は楯岡光直のものとみてほぼ間違いないと思っています。光直の命日は5月21日ですから、49日忌ということで建てられた五輪塔ではないでしょうか。地輪に刻まれている施主は山形孫市郎となっていますが、光直の嫡男は孫一郎となっているようです。 光直は義光亡きあと2代藩主・最上家親に仕えますが、その家親の死後、3代藩主・義俊のときにお家騒動が起こり最上氏は改易、光直は豊前細川家にお預けの身になるも、厚遇を受けます。そして光直の死後、子孫は熊本藩に転封した細川家の家老職に就き、明治維新まで続いたそうです。

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左から2番目の五輪塔の地輪です。文字は比較的はっきり残っているようなのですが、祀られているのが女性のことでもあり、はっきりしたことは判りません。 右志照光院殿 月〇妙圓大姉 為菩提造立也 慶長六辛丑年秋十八日?・・・・とあるように思います。右志というのは官位としての検非違使を表しているのでしょうか。この右隣の五輪塔で読めたのは、寛永四年?晃性院殿・・・。一番右側は寛文三癸卯年 雲嶺?宗白禅定門 十月〇?九日 とあります。ということで、最上家の一族、楯岡光直の五輪塔は判ったものの、他ははっきりしたことは判りませんでした。当然最上義光の死に殉じた方々の墓所でもないように思います。楯岡光直一族の墓所と言うことになるのでしょうか。

忍藩2代藩主・松平忠彦五輪塔 (高野山・奥の院)

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中の橋の手前、右側にある美濃加納藩主・奥平信昌の五輪塔の右に並んでいる忍藩2代藩主・松平(奥平)忠彦の五輪塔です。忠彦は天保12年に亡くなっていますが、藩主の座に就いていたのは約2年。でもその間に影葵御紋の使用を許されたとか。影葵の御紋というのは多分線書きの葵の紋のことだと思うのですが、その紋の使用を許されたということは相当覚えめでたかった方だと思います。忠彦死後、弟・忠国が跡を継ぎます。奥にある五輪塔は女性のもので、どちらも忠国が建てているので多分忠彦の正室の五輪塔だと思います。(はっきり確かめて来なかったので想像で書きました。ごめんなさい)

房州里見氏供養塔 (高野山・奥の院)

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奥の院御廟橋の手前にある織田信長公墓所の標示板に沿って、さらに奥の方に入っていくと、房州里見氏供養塔と刻まれた新しい石碑が建てられていました。右側の五輪塔から順に便宜的に①、②、③として見ていくことにします。

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①の地輪です。安房刕太守源朝臣里見忠義三十三年御菩提也 雲晴院殿前拾遺心叟賢凉大居士 施主唐津東九様?建立之 〇應三年 午夭六月十九日 比較的簡単に読むことが出来ました。ところが、安房・里見家は忠義の代で途絶えているのです。施主は唐津東九とあります。そこで、安房里見氏と唐津の東九との繋がりを推理してみました。〇は字が違うのですが、「承」だと思います。異体字を調べてみても判りませんでした。

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左にある③の五輪塔の地輪です。施主肥前国唐津城主大久保加賀守藤原朝臣秀住?公之 御姉?〇東九殿 桃源院殿仙應妙壽大禅定尼 ・・・七年忌追善也 〇治?四辛丑夭八月晦日 とあるように思います。ここで、唐津藩主大久保加賀守と里見家と東九の関係ですが、大久保忠職の姉or妹に里見忠義の正室となった方がいるのです。里見忠義が1622年に亡くなり、家系も絶えたので、正室が実家・大久保忠職のもとに帰ってきたのではないでしょうか。その正室だった方が東九と呼ばれていたと考えるとうまくつじつまが合うように思うのです。①は夫・里見忠義の33回忌に妻・東九が建てたもの。③は大久保加賀守秀住(秀住という方はどなたか判らないのですが、もしかすると忠職のことかも知れません)が、祀る人の亡くなった忠義の正室・東九を祀ってあげたものと考えられるからです。ですから、最初の〇には「為」、次の〇には「萬」という字が入るのではないかと思っています。追記:いつもお世話になっているM,I様からご連絡を頂戴しました。大久保加賀守秀住ではなく大久保加賀守季任だそうです。大久保季任は忠職のことだそうで、辻褄が合うことになります。それと忠義の室の動向は 里見忠義室「母は信昌の女。里見安房守忠義が室となり、忠義御勘気をかうぶりて家たゆるののち忠職が許にあり。寛政譜の原文のまま」ということのようです。

その後、里見家の女性たちーテーマ別探訪 館山フィールドミュージアム 館山市立博物館 HPの(12)に次のような記述があるとのご連絡をいただきました

(12)忠義の妻「東丸様(ひがしまるさま)」 (大久保忠隣の孫娘)<高野山>

徳川幕府の有力者で小田原城主大久保忠隣の孫娘。徳川家康の長女亀姫の孫でもある。夫・忠義は慶長19年(1614)倉吉(鳥取県)に国替(くにがえ)を言い渡され、元和8年(1622)この世を去った。彼女は弟・大久保忠職(ただもと)のもとへ身を寄せ、岐阜・明石・唐津の転封先ごとに、忠義の菩提を弔う寺院を建立した。唐津で東丸様と呼ばれていた頃の、忠義33回忌にあたる承応3年(1654)には、高野山奥の院にも供養塔を建立している。その翌年里見家の再興を願いながら56才で没した。法名は「桃源院殿仙應妙寿大姉(とうげんいんでんせんのうみょうじゅだいし)」。墓は唐津の大久保家の墓地にある。その7回忌の万治4年(1661)に、忠職が高野山の忠義父娘とならべて供養塔を建立。博物館に忠義塔の複製がある。

里見忠義の性質の名は「東九」ではなく「東丸」だったようです。原文はそのままにしておきますので「東丸」と読みかえてくださいませ。

M.I様、ありがとうございました。

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では、真ん中の②の五輪塔は?ということになるのですが、これがまた読みづらい。一定数繋がってる文字列で意味が分からないのも含めて書いてみると「本立源辛里見忠義?」「簾中東九女為?」「圓?光院寶月?」「前〇唐津東九様」「慶安三年五月六日?」 ?マークが多くて申し訳ないのですが、こんなふうに読めるように思います。それで、注目したのが「東九女為」という部分です。東九の娘ということは里見忠義と正室・東九の間に出来た娘だと思うのです。それで「母親に祀ってもらわなければならなかった人」ということで調べてみたのですが、正室(忠義の娘)を亡くし、後室を娶っている木下延由(豊臣秀吉の正室・高台院所縁の人)という人がいることが分かりました。正室とはいえ、早くに亡くなり後室が入ることによって祀ってもらえにくくなった我が娘の為に東九が建てた五輪塔ではないでしょうか。

ということで、今回は推理の上に推理を重ねた結果ですので、あまり自信はありません。お詳しい方、いらっしゃいましたらご教示ください。

それにしても、里見氏というのは複雑ですね。奥の院にあと二カ所里見家墓所とされているところを知っているのですが・・・。よろしければ「羽州最上 里見家墓所」と「出羽最上里見家墓所と標柱にはあるのですが・・・」をご覧ください。

やれやれ、無事でした 「上総入道蓮阿」の石碑 (高野山・奥の院)

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久しぶりに訪れた高野山奥の院。まず最初に行ったのが、この「上総入道蓮阿の碑」のある場所です。今年の3月、まだ雪の残っていたこの場所で見つけたのですが、調査をお願いしている先生からの連絡もなく、やきもきしていたのです。とりあえず、そのままあることが確認できて、ホッとしています。このまま年を越すのもどうかと思い、今度高野山へ行ったとき、文化財を扱う関係機関に行って相談してみようと思っています。と言うのも・・・

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こんなポスターが町内の掲示板に貼られているのです。「和歌山県仏像盗難対策事業・文化財泥棒を許さない」 こんなことは 当たり前のことですが、人口減により無住となったお寺や神社も珍しくなくなってきているからです。今回のケースはちょっと違うようですが、気にしないで放っておくことなんてできゃしない。そのうち、結果をお知らせしようと思っています。本物であっても偽物であってもです。

ところで、前回のブログ「まるで隠し絵」の答はカマキリです。左右に分かれてのびている茎、その右の方の茎に沿って頭を下にして逆立ちをした格好のカマキリが隠れています。実は私も写真を撮るとき、何度もどこにいるのか確かめながら撮ったのです。モニターで見たとたん、どこにいるのか判らなくなって・・・。

まるで隠し絵 エンドウ豆のその後

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11月7日のブログ「豆の花と蝶」で取り上げたエンドウ豆のその後の様子です。予想に反して、その後ずっとご覧のように収穫できているのです。それで伴侶はご機嫌なのですが・・・。ある日のこと「豆を採っていると、いつも〇〇さんがいてギョッとするんだよね」 そう言われてカメラを持って出て見ると本当に〇〇さんがこちらの様子を注意深く見ています。ここで問題。さて、〇〇さんってお判りですか?まるで隠し絵のような問題なのですが・・・。 と、ここまで書いてきてふと気がついた。この〇〇さん、なにを餌にしているのでしょう。そう言えば「豆の花と蝶」で取り上げたシジミチョウの数が最近少なくなったような気がします。もしかして〇〇さんに食べられているのでは?どちらも近々命は尽きると思うのですが、生物って生命のある限り最後の最後まで生存競争の渦中にあるものなのですね。自然界の厳しさを感じたことでした。 それはそうと、この答は「これはなーんだ」のように公募しないことにしますね。また恥ずかしい思いをしないように・・・。答は要らないと思いますが、念のため次回のブログの最後に書いておくことにします。

エナガ

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「可愛らしい鳥がたくさん来ているよ!」との声にカメラ片手に行ってみると、スズメより少しい小さい感じの鳥がさえずりながら枝から枝へ忙しそうに飛び回っていました。もしかしてシジュウカラ?と思いながら撮ったのですが、後で調べてみると「エナガ」でした。多分見るのは初めてだと思うのですが、嘴がちっちゃくて顔にチョコンとついている姿がとっても可愛らしい。「嘴がこうも短いと餌を食べるのに不便じゃないかしら、不便というより餌を捕まえることが出来るのかしら・・・」と心配したくなる程のおちょぼ口だと思いませんか? これまでも、あれっ?と思う鳥にはよく出くわすのですが、写真に収めることは難しいものです。写真に撮ることが出来なければ、知らない鳥を一目見ただけで、なんという鳥か特定することは私にはできません。今回はうまくいったのですが、また再会したときに「エナガ」という名前を思い出せるかどうか・・・。いつも来てくれていると忘れることはないと思うのですが、ちょっと心配です。前回の鳥の巣に続いて、今回も鳥の話題になってしまいました。

こんな所に鳥の巣が・・・

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日に日にその葉を落としていくモクレンですが、その葉数が少なくなった枝の間から、こんな鳥の巣を見つけました。なんという鳥の巣なんでしょうね。以前キジバトが巣を作ったことがあるのですが、その巣ではないような気がします。もしかしてヒヨドリかも知れません。さてこの巣、残しておくと、また来年ここで営巣するのでしょうか。ヒヨドリはいたずらが過ぎるのであまり残したくはないのですが・・・。さてどうしたものか思案中です。

縁とは不思議なもの あれから10年・・・ (その2)

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前回の続きです。2日目は下市口から南に進み、天川村・洞川を目指しました。これは途中にある丹生川上神社下社です。日本最古の水の神様だとか。この神社は以前にもブログで取り上げたのですが、紅葉に彩られた社殿はまた違った趣があります。 ・・・「あの時(出会ったとき)たまたま道をお尋ねしたのよね」「もしその時私たちがお弁当を食べ終えていて、同じように出発していたら、この出会いはなかったかも知れませんしね。出会いのチャンスって、本当に不思議ですね~」「そうなのよ、あの時、タクシーで高鴨神社まで送ってもらったのだけど、葛城古道については運転手さんは教えてくれなかったのよ。もし教えてもらっていたら声をかけることもなかったと思うわ。場所、時刻、その他諸々の条件がうまくかみ合ったときに初めて出会いというものがあるのね。本当に不思議なこと」・・・

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洞川は運良く紅葉の真っ盛りでした。渓谷沿いの町並は紅葉と屹立する岩山、美しさと厳しさの中にあって、魅力的な景観を見せてくれてるようです。

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山伏が大峯山(山上ケ岳)へ入峰するときに、ここで身を清めて出発するという、龍泉寺です。龍泉寺については以前取り上げていますので、よろしければクリックしてご覧ください。

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山伏が身を清めるための池です。澄んだ水と紅葉のコンビネーションもとっても魅力的な風景です。境内にある「なで石」に興味をもたれた奥様が持ち上げようと挑戦したのですが「やっぱり重いわ」「重たくっても撫でたから持ち上がったのですよ」などと他愛のない会話を交わしているとき、高い木の上から私たちを見下ろしている鳥がいるのに気がつきました。「トンビかしら、それともカラス?」「もしカラスなら八咫烏?」

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これが、その時の鳥です。くちばしの形から多分トンビだろうと衆議一決した時、「ピーヒョロロ」の鳴き声。やっぱりトンビだったんだ。トンビって飛びながら鳴くのかと思っていたけど、木にとまっていても鳴くんだね~と妙なことに感心。でも、このトンビ、この後とんでもない悪者だったことが判明したのです。昼食に持参のおにぎりを食べていたとき、目の前を何か黒いものがサッと横切りました。一瞬、何が起こったのか分からなかったのですが、「キャー、私のおにぎり持って行かれた!」「えーっ?目の前を横切ったのはトンビだったの?怪我はなかった?」「大丈夫、おにぎりだけ持っていかれたわ。きっと私がとろいと思って狙っていたのかも知れない」と笑い話で終わったのですが、それにしてもトンビのすご技に感心したことでした。まさに目にも留まらぬ早さで、大きな羽を誰にもぶっつけることなく、手に持っていたおにぎりだけをかすめ取っていくのですがら、まさに神業。とんだハプニングでしたが、これも忘れられない思い出になることでしょう。これからここに来てお弁当を食べるときは気をつけることにします。

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昼食を食べ終えて、町並巡りをしてから大峯山の登山口まで行ってみました。「従是女人結界」と刻まれた厳めしい石碑が立っています。その奥にある鳥居のような門が女人結界門です。昔、日本には女性が立ち入ることを禁じた女人結界の場所が各地にありましたが、今ではここ一カ所だけになりました。ご夫婦は興味深そうに眺めていらっしゃいました。この伝統もいつまで続くのかしら。日本の人口がどんどん減ってきているので、ここに登る男性も少なくなるだろうしね。それより日本では宗教離れが進んでいることもあるし、わざわざこんな険しい山に登ろうと思う男の人自体が減ってくると思うしね。と感想を述べていらっしゃいました。

ということで、「不思議なご縁10周年記念の旅」を無事終えることが出来ました。若い頃の出会いって、夢があって楽しいかも知れませんが、歳をとったらとったで、それなりに楽しいように思います。所詮人間は一人では生きていけないもの。新しい出会いって、歳に関係なく人生のスパイスとして必要なものなのかも知れません。ご夫妻を駅までお送りして、また来年お互い元気でお会いしましょうと約束してお別れしました。また来年お会いできますように・・・。