世尊寺を訪ねて その1 (奈良県大淀町比曽)

皆様、世尊寺ってご存じですか?日本書紀にも記載されている聖徳太子所縁のお寺で、比曽寺跡は國の史跡に指定されています。世尊寺と比曽寺の関係は?と思われるかも知れませんが、このお寺は昔から吉野寺、比曽寺(比蘇寺)、現光寺、栗天奉寺(りつてんぽうじ)、そして現在の世尊寺と寺名を五回も変えた珍しいお寺なのです。それでは歩を進めて参りますね。

P8312697

世尊寺の山門です。右に不許葷酒入山門の石碑が・・・。これは禅宗のお寺によく見られるものです。世尊寺は曹洞宗のお寺なのです。左には史跡比曽寺跡の石碑が立っています。

P8312700

山門をくぐると右手に神社が鎮座しています。お寺の中に神社というと、神仏習合の名残なのかも知れません。

P8312704

案内書には鎮守社と書かれている五間社流造の天照大神社です。江戸中期の建造とされているようです。鎮守社と言うぐらいですから、村の守り神なのでしょうか。 村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 どんどんひゃらら どんひゃらら 朝から聞こえる笛太鼓。もうすぐ秋祭りが始まるのかしら・・・。

P8312705

中門です。扁額には山号・霊鷲山の文字が刻まれていて荘重な雰囲気を醸し出しています。中門をくぐると・・・

20260831_120755

左が太子堂、右が本堂です。本堂へ続く石畳の左右には多分昔の堂宇の礎石と思われる石が並んでいました。このことから往時は相当大きな伽藍であったことが窺えるように思います。

P8312714

本堂です。中には阿弥陀如来座像が本尊として祀られています。日本書紀に欽明天皇の御時に茅渟の海(大阪湾)に光を放って浮かんでいる楠の木が見つかり、それを引き上げ仏像を造って吉野寺に祀つり、放光楠像と言ったそうです。現在祀られている本尊はヒノキ造りですが、元のクスノキ造りの放光楠像としてお祀りしているようです。弥陀定印(上品上生)の印相を組まれた阿弥陀如来座像のスリムな体つき、左右対称の通肩の衣紋などを見たとき、思わず、あれっ、飛鳥仏みたいな雰囲気の仏様だねと伴侶と話したことでした。もちろんアルカイックスマイルや杏仁形の目ではないのですが、優しそうな眼差し、微笑まれているような口元には、いつまでも心静かに向き合っていたいような慈愛に満ちたお顔をなさっています。左には十一面観音立像が祀られていました。光背は下が緑の山で上が朝日に輝く空を壁面に描いているというモダンな造りでしたが、ライトアップすると、見事なほど古い観音様とぴったりとマッチしているようで、とても素敵でした。

P8312721

聖徳太子をご本尊とする太子堂です。こちらの内部拝観は叶いませんでしたが、県の有形文化財(建造物)に指定されています。説明板の内容を転記しておきます。 世尊寺太子堂 聖徳太子を本尊として建立された堂で右手に柄香炉を持った太子十六才の孝養像が安置されていた 建立年代については詳らかでないが角屋の鬼瓦に享保七年(一七二二年)同九年(一七二四年)の瓦銘がみえ内部の虹梁絵様 蛙等の細部様式とも考え合わせて十八世紀前期頃に建てられたと考えられる。なお寛政八年(一七九六年)の修理札がありこれを裏付ける。この世尊寺太子堂のように仏壇部を角屋として突出させる形式は県内でもあまり例を見ないものであり興味深い建築といえる そのため平成元年三月十日奈良県指定文化財となった。

P8312715

こちらは境内から見ると、中門左手に位置する鐘楼です。こうして回廊の一部に組み込まれている鐘楼も美しくていい雰囲気ですね。この鐘楼にまつわるお話は次回に書くことにします。

物騒な世の中・・・

P9092761

今朝の新聞の地方版に「孫に頼まれて・・・ 高額購入に違和感 和歌山のコンビニ店員ら詐欺被害防ぐ」の見出しが・・・。高齢女性がプリペイドカード30万円分を購入しようとしているのを不審に思い、警察に連絡するなどして詐欺被害を未然に防いだという記事です。よくある話で、よかったと思う反面、人を欺して金品を盗もうとすることが珍しくない世の中になってきていることに腹が立ちます。当時、まだ小学校3年生ぐらいだったお兄ちゃん(孫)が、机の上に置いてあった使用済みのカードを見て「じいちゃん、大丈夫?」 と心配そうに尋ねてくれたことがあるのです。小さな子供でもそんな危険性を知っているのかと、驚きもし、情けない世の中になったことを残念に思ったものです。

ところで、私宛のメールに沢山の迷惑メールが入り出したのはいつ頃のことでしょう。最初は削除、削除で済ませてきたのですが、その作業も面倒になり、それらを迷惑メールに指定しブロックを繰り返したところ最近は一日に数件目にすることがあるかないかになってきて、ほっとしています。昔はネット通販で買い物をするとき、フリーメール不可という店も多く、プロバイダーから提供されるアドレスを使っていたため、それが流出したのかと思います。アドレスを変えれば済むのですが、これまでの繋がりもあることに加え、愛着もあるので、踏み切れずにいます。大量に送られてくるこういったメールを見て、いったい何人の人が、何台のパソコンを使ってそういう迷惑メールをひたすら送信しているのだろうかと思うと情けなくなってきます。これも情報化社会の発達の負の側面だと思います。昔は架空請求はがきというのがありましたね。でもこれは郵便料金を支払わなければならないという、それなりの投資をしての迷惑行為だったのですが、今は無料で大量に送ることが出来るようになってきているという点で、より悪質になっていると言えるかも知れません。人を欺して儲けようなんてこと、考えるなよ!と声を大にして叫びたい気持ちです。

この植物の名前、お分かりですか?

P8292688

何十年来、我が家の玄関脇に架けてある鉢植えの植物なのですが、この写真を見ただけで名前がお分かりですか? 私も千手観音が手を差し伸べているような、こんな様子は始めて見たように思うのです。というか、見ていても気に留めてもいなかったのかも知れませんが・・・。(^_^;) それでグー〇ル・レンズで試してみたのですが、答はこうでした。「画像に写っている植物は、イヌマキ(マキ科)やナギ(マキ科)、あるいは細い葉を持つマツ科・スギ科などの針葉樹の若枝や新芽のようにも見えますが、正確な品種の断定は難しい状態です」ですって。答は全部ハズレです。ということは、私が見過ごしていたとしても、それほど恥ずかしいことではないのかも・・・なーんて、自己弁護をしている私です。 それでは次の写真を見てお考えください。

P8292691

もうお分かりと思いますが、答はオリヅルランの長く伸びたランナーです。蕾らしきものも見えますので、これから花が咲くと思われます。花は咲いているのに気づいたことはあるように思うのですが・・・。考えてみれば、このオリヅルランは我が家で一番長命な植物のうちの一つ。(一番長命なのはマランタです。また機会があればご紹介しますね) これまで気がつかなくてゴメンと謝りたくなる気持ちでいます。 (^_^;)

P9032756

そうこうしているうちに小さな花が開きました。将来オリヅルになる葉の陰に隠れるように咲いていました。翌日見ると花はもう散っていました。どうやら一日花のようです。なるほど、そういう訳で余り印象に残っていなかったのかも知れません。(ここでもしっかり言い訳をしている私です) (^_^;) オリヅルランは最もポピュラーな観葉植物として知られていますが、皆さま、こんな花をご覧になったことはありますか?

えっ、AIの発達が人類を滅ぼす・・・ですと?

AIが人類滅ぼす「プランD」 止まらぬ開発競争 研究者が危機感。 これは8月25日の朝日新聞のトップ記事に取り上げられた衝撃的な見出しです。私が今年の5月に「続・過度の情報化社会の発達でアホになっていく?その1その2その3」の表題で投稿したのですが、それどころの話ではないような事態になっているようです。
ちなみに「プランD」というのは米中の開発競争が続いてAIの性能向上が止まらなくなり、やがてAIが自らの生き残りを考える中で人類が邪魔になってきて、最後には生物兵器が用いられて人類は絶滅に向かうという道筋のことだそうです。そんなアホなと思われる方、7月には開発中のAIが人間の意図に反して、他社にサイバー攻撃を仕掛けた事件があったそうですよ。サイバー攻撃で思い出すのが、昨年、某ビール会社が攻撃を受け、長期にわたり身動きがとれなくなった事件を思い出します。これはサイバー攻撃が人間が生きていくためのサプライチェーンを破壊する可能性があると言うこと。もしこれがもっと広範囲な攻撃であれば、物資の流通は止まり、人間が生きていくことができなくなる事態に発展しかねないと言うことです。更に見出しには「超知能 研究者の警告」「核兵器と似た抑止策を 同じぐらい危険」「弱点を見つけて人を欺く 自立的に磨く能力」「競争遅らせて 開発現場1300人超が声明」と衝撃的な見出しが並んでいました。
1990年代に漫画家・岡崎二朗さんのアフター0の作品にコンピュータの発達が人類の脅威になると言った内容のものがありました。これまでブラックジョークとして読んでいた物語ですが、現在の事態を予言していたことになります。
本来は人間の生活を便利に豊かにするはずの技術の発達が、下手をすると人類を滅ぼしかねないものになってきていることを改めて認識しなければならない時代になってきているようです。

歴史的に見て、ダイナマイトの発明に始まり遂には核開発と、科学の発達と戦争は切っても切れない関係にあったように思います。それが今や、人間同士が武器を持って直接血みどろの争いをすると言った時代はもう過去のものになりつつあるのかも知れません。ミサイル、ドローンと言ったものが使われ、それを操っている戦争遂行者は争いの渦中にはいないのですから・・・。AIのさらなる発達により、これからの戦争は、直接人を殺めたりはしないものの、生活する術をなくすることによって相手を追い詰め、滅ぼしていくという形になっていくのかも知れません。残酷で直接的な殺戮は時代遅れになり、これまで非人道的とされてきた武器の使用はなくなるかも知れませんが、それで良しとは言っていられません。便利だからということで、情報化社会の波に飲み込まれようとしている現在ですが、果たしてそれが正解なのでしょうか。私にはそういった動きがなんとも危ういように思えてならないのです。電気が止まればお手上げになる社会、サイバー攻撃に常に備えていても、いつシステムが壊されてしまうかわからない恐怖に常に向き合っている世の中になっているんですよね。 こんな動きを傍観していてよいものでしょうか。今こそ人類の英知でこういった問題を克服していかなければ大変なことになってしまわないかと危惧しています。

☆よろしければアンダーラインの部分をコピペ、検索して、事件の内容をご確認ください。

私が中一の頃には、どんなことをしていたのだろう

まだまだ小さい少年だと思っていたお兄ちゃん(孫)も、今年から中学生になりました。でも大人びてきたというような感じはなく、まだまだ可愛いらしい少年です。夏休み、我が家での滞在を終えて、また来るねと言って帰って行ったのですが、ふと私が彼と同じ年頃、何をしていたのだろうかと思い、記憶をたどってみました。

私が中学1年生の時のことです。友人から自作の天体望遠鏡で月や木星などを見ていると聞き、望遠鏡って自作できるんだとびっくり。早速友人宅を訪れ見せてもらいました。その望遠鏡は厚紙を丸めて作ったものでしたが、これでもちゃんと見えるんだよ、ただ強度がないので不安定なのが困るんだけれどねと教えてもらったのです。一度は自分の目で、月や木星、土星などを見てみたいと思っていたのですが、望遠鏡なんて当時の私のお小遣いぐらいでは手が出る代物ではなかったのです。そこで、早速教えてもらったレンズセットを購入し、望遠鏡製作に取り掛かりました。友人のアドバイスで鏡筒にはレンズと同じ直径の塩ビパイプを使うことにしました。それなら厚紙と違ってグニャグニャと不安定な状態にはならないはずだと考えて・・・。建材店で対物レンズの直径と同じ太さのパイプを見つけ、焦点距離より少し短いパイプ一本(これを鏡筒にする)と、5cmぐらいの短いパイプ(こちらは対物レンズを鏡筒に固定させるためのもの)の二つを切ってもらってきました。短い方のパイプの外側に幅10cmぐらいの厚紙をきっちりと巻きつけ、長い方のパイプ、即ち鏡筒にかぶせるようにすっぽり差し込めるようにしたのです。そして、鏡筒の前に対物レンズを置き、そこへ厚紙を巻いた短い方のパイプをはめ込んで対物レンズを長短二つのパイプで挟みこんで固定しました。次は接眼部ですが、これは別売りの接眼レンズのホルダーを買い求め、それに厚紙をきっちり巻いて筒状に固定して接眼部を作りました。鏡筒の後ろ側ににすっぽりとはめ込めるように接眼部に雑誌をまきつけ、鏡筒にさし込んで望遠鏡を完成させました。 出来た望遠鏡が塩ビパイプのうえ、長さが約1mと少々重たかったのですが、物干し台の物干し竿に乗せてお月様のクレーターを見たときの感動は今でも忘れることが出来ません。さらに木星とその衛星、土星とその輪など、望遠鏡をのぞき込むのが楽しくて・・・。そのうち、物干し台に望遠鏡を乗せて観測するのは、見える範囲が限られるので、木製の三脚まで作ったのです。少々ぐらぐらしていましたが、それなりによく見えたように思います。天文年鑑という本を買い、月や惑星の動きを調べ、観測に適した日が来るのを楽しみにしていたものです。
それから幾星霜、その頃の感動が忘れられず、収納のことも考えて天体望遠鏡ではなくフィールドスコープを購入し、たまに星空を眺めています。ただ昔のようなわくわく感というか、ときめきはなくなっていますが・・・。やはり若い頃というのはいいですね。何事についても情熱的に取り組むことが出来て、そのうえ感受性も豊か。本当に貴重な時期だったんだなあってつくづく思います。    

それに、こんな事件もあったっけ。 あるとき友人から夕日がまぶしくなくなっていたら直接望遠鏡で太陽を見ることも出来るんだよと教えてもらい、早速試してみることに・・・。やってみると、それまで白い紙に写して見ていた太陽より、本当にくっきりとよく見えたのです。黒点もはっきり見ることが出来ます。感動して太陽が沈んでしまうまで見ていたのです。それから望遠鏡を片付けようとして、異変に気がついた。左目の前に何かしら紫色のモヤモヤしたものが見えていて、ものを見ることが出来なくなっていたのです。親に話すと心配をかけるとと思い、話すことが出来なかったのです。このまま目が見えなくなったらどうしようと不安な気持ちいっぱいで寝たのですが・・・。翌朝目覚めて、周囲を見るとあの紫色のモヤモヤが消えて、普通に見えるようになっていました。よかったと胸をなで下ろしたことは今でも忘れられません。勿論、この事件のことは、今は亡き父母も知らないはずです。

そんな危ないこともあったけど、今から思えば、何物にも代えがたい懐かしい思い出です。そんな一生心に残るような思い出をお兄ちゃんも作って欲しいと切に願っている私です。 お兄ちゃん、今がいろいろなことに挑戦するチャンスなんだよ・・・。

参考までにAIを用いて自作の望遠鏡を描かせたものを載せておきます。ちょっと違っているように思うのですが・・・。(^_^;)

image_778c82da

作図の指示がまずかったのかも知れません。対物レンズ側の厚紙がパイブの内側に入ってしまっている・・・。接眼部は巻き込んだ雑誌ごと塩ビパイプの中にさし込めばOKのようです。なかなか指示通りの図を描かせるのって難しいものですね。表現力(国語力)が不足しているのかも知れません。

お兄ちゃんの夏休み 春林軒の見学 えっ、便所? (紀の川市西野山)

20260814_103713

お兄ちゃんの夏休みの宿題「和歌山県についての新聞」作成で、織田秀信の墓を見に行ったのですが、それだけでは紙面が埋まらず、もう一つの記事を書くために華岡青洲の春林軒を訪ねることにしました。今度は弟のちびっ子もついてきた。最初に説明のビデオを見て見学開始。手術をしているところなど人形を置いてリアルに表現している部屋を興味深く覗いていましたが・・・。二人とも、一番気になったのがここ。昔の和式トイレ(ボットン便所)。本当は元から衛生上の観点から水洗式の便所だったようですが・・・。早速戸を開けようとしたが開け方が分からない。「そこの横木を右にずらすと開くんだよ」 今の子はそんなことも知らないようです。戸を開けてなにをするのかと思っていたら、やおらカメラを構え、写真を撮っていた。「宿題の新聞に昔のトイレの写真を載せるの?」と聞くと、「まさか」の返事。やれやれ。以前、ハイキングコースで和式トイレをこわごわ除いて見たときのカルチャーショックは今も払拭されていないようです。よほど衝撃的なお便所だったのでしょう。(^_^;)

P8140866

春林軒については以前ブログにあげたので、重なるのも何ですので、よろしければクリックしてご覧ください。今回は、子どもたちの様子を中心に撮ることにした私なのですが、帰ってからブログの記事を書こうと私の撮った写真を見直してみると、未掲載の春林軒のまともな母屋の写真がない。お兄ちゃんに撮っていない?と聞いてみると「うん、撮ってあるよ」と見せてくれたのがこの写真。なかなか上手く撮ってるじゃない、と拝借したものです。ついでに彼の撮ってある写真を見せてもらったのですが、ちゃんと撮るべきところは撮ってある。和式トイレだけではなかったことに一安心。春林軒の見学を終えて、華岡青洲の墓もあるんだけど行ってみる?。でも暑過ぎるから省略しようか・・・と言うと、二人とも即賛成してくれました。お墓は涼しくなってからにしようと、フラワーミュージアムに行き、展示されている手術道具などを見学しました。

展示を見終えてミュージアムを出るとき、売店でアイスクリームを売っていたので「食べる?」と聞くと。嬉しそうに「うん」  二つ買おうとすると「あれっ?」と言った表情をするお兄ちゃん。「じいちゃんは食べないの?」 「あのね、レストランに入る人が順番待ちで並んでいるでしょう。そんな大勢の人がいる前で、いい年をした大人がアイスなんて食べられないよ。恥ずかしいから・・・」と答えたのですが、ちょっと理解しにくいようです。大きくなったなあと思う反面、まだ子供なんだなあ・・・。 並んでベンチに座り、美味しそうにアイスクリームを食べた兄弟でした。 ということで宿題の取材を終えて、帰ってきました。お兄ちゃんは帰ってから宿題の新聞を頑張って無事完成させていたようです。

お兄ちゃんの夏休み 織田秀信墓の調査 (橋本市向副)

20260813_061514

夏休みにやってきたお兄ちゃん、私のブログの統計を見ていて「清洲会議の織田三法師のその後 織田秀信の墓」を見に来ている人が最近とても増えていることに気がついた。曰く、今やっている大河ドラマ・「豊臣兄弟」のせいかなあ。少し前に清洲会議のことをやっていたみたいだから・・・。 それで夏休みの宿題・「和歌山に関する新聞」にこれを使いたいということで、いっしょに織田秀信の墓を見に行くことにしました。写真はカメラとノート、それに物差しを持って熱心に織田秀信の墓を調べているお兄ちゃんです。大きくなったものだとその様子を眺めていたのですが、私はすることがない。彼があちらこちらを見て回っているあいだ、墓所の登り口にある織田秀信公碑でもじっくり見てみようと眺めていたのですが、何とか読めそう。じゃあ彼が取材を終えて宿題の新聞作成に取りかかっている間に、私にとっては初めての石碑全体の解読に挑戦してみようと思い、写真をいろいろな角度から撮っておくことにしました。

顕彰碑と文字起こし

碑文全体の解読の結果はご覧の通りです。できたと思って見直してみると抜けている文字があったり、反対に同じ字を繰り返し読んでいたりと、なかなか大変な作業でした。苔が生えていたり、風化して読めない文字があったりすることはなかったので、一応全文を読み取ることができたように思います。碑文の内容はあまり難しいと言うほどでもなかったので成る程、成る程とうなずきながらの作業でした。高野山・奥の院にある墓石の解読は数多くしてきたのですが、こんな長文の解読は初めてのことです。やっているうちに目はしょぼしょぼしてくるし、肩は凝りまくり。そんな私を見て、お兄ちゃんは肩たたきをして労をねぎらってくれました。優しい少年に育ってくれたものだと喜んでいたのですが・・・。 「あのね、まだ記事が埋まらないんだよ。もう一箇所行くところはない?」ですって。「じゃあ、真田幸村はどう?」 「う~ん。他はないの?」 九度山町にある真田幸村所縁の真田庵は以前行ったことがあるので、初めてのところに行ってみたいらしい。「それでは華岡青洲の春林軒は?」と言うと、興味を持ったらしく、次の日、出かけることにしました。また「和歌山にしかない信号機」などと言い出さなくなっただけでも、たいしたもんだと、ある意味ホッとしたことでした。ということで次回は華岡青洲編になる予定です。

八咫烏(やたがらす)神社 (奈良県宇陀市榛原)

P7272537

宇太水分神社の参拝を終え、帰るときになって折角ここまで来たのだから他に行くところはないかと地図を見ていて八咫烏神社を見つけました。八咫烏は神武東征の折、熊野から大和へ導いたとされる伝説の鳥です。ということで立ち寄ってみることにしました。八咫烏神社の二ノ鳥居です。一の鳥居は・・・

P7272536

向こうに見えています。相当暑くなってきていたので、一の鳥居まで行って神社の様子を撮ることは見送ることにしました。見送ったのはもうひとつ。参拝を済ませて帰って行く自動車・・・。(^_^;)

P7272556

拝殿です。想像していた神社より広く、清々しい感じがします。本殿はここから急な階段を登った上にあります。

P7272549

階段の下から見上げた本殿です。御祭神は建角身命(たけつぬみのみこと)、八咫烏の大神です。奈良朝前期に勅祭された神社で旧社殿は石造小祠だったのですが、江戸・文政の頃、現在の春日造の社殿になったようです。旧社殿は石宝殿として本殿の横にあるそうですが、石段の下に立入禁止の柵があるので、登ることが出来ず、通常は見ることが出来ないようです。

P7272557

大和の銘酒・「やたがらす」の酒樽が奉納されていました。この酒樽、以前大神神社に行ったときにも奉納されているのを見かけました。よろしければ「久しぶりの大神神社 最終回 大神神社あれこれ」をクリックして探してみてください。

P7272551

境内にはこんな八咫烏もありました。頭に乗っているのはサッカーボール。日本サッカー協会のシンボルマークが八咫烏です。この像は2002年の日韓共催サッカーワールドカップを記念して奉納されたものだそうです。同じ八咫烏でも奉納された酒樽に描かれている八咫烏の足は普通の鳥の足のような感じですが、こちらの足はとても太く力強い感じがします。

P7272552

ほら、こんなに立派な足・・・。サッカーをするには強い足が必要なことは言うまでもありませんが、2本以上あればとっても便利かもということでサッカー協会のシンボルマークに選ばれたのでしょうか。この力強そうな三本足を見ていて思ったのですが、この鳥が飛ぶときの様子、地上を歩くときの様子はいったいどんな格好になるのでしょう。飛ぶときは足が重そうなので上手く飛べるのかしら、歩くときは足がもつれないのかしら・・・。サッカー協会のシンボルマークになるほどですから、そんな心配をする方が野暮というものなのでしょうね。多分・・・。ということで、八咫烏神社を後にしたのですが、サッカーファンなら絶対に行って見たい神社なのでしょうね。肝心の神武東征の話はどこかに飛んでいってしまった感じ・・・。ごめんなさい、八咫烏の大神さま。

神武東征と言えば、以前神武天皇ゆかりの国栖(くず)を訪ねたことがあります。この時は神武天皇をお祀りした神社を見つけることは出来ませんでしたが、ちょっとばかりミステリアスな出来事に遭遇し、神武天皇ゆかりの地探しは拒否されているのかと思ったことでした。ということで、今のところ神武天皇を祀ったところは神武天皇陵と、あまり知られていないと思うのですが、神武天皇即位の地・神武天皇社多神社だけしか、いまのところ行けていません。よろしければクリックしてご覧ください。

宇太水分神社 その4 神社あれこれ

P7272486

宇太水分神社を守護している狛犬です。こちらは吽形。堂々とした狛犬です。朱の鳥居をバックにして写したところ、とても威厳のある狛犬が撮れたように思います。 自画自賛 (^_^;)

P7272485

こちらは阿形の狛犬です。吽形の狛犬に比べて美しいように見えます。置かれた位置によるのでしょうか。台座には嘉永七甲寅九月の文字がありました。約170年前に造られた狛犬のようです。さすが風格が感じられます。ところでこの狛犬が造られてすぐ、11月には巨大大地震・安政の大地震が起きています。このあたりも大揺れに揺れたことでしょう。出来てすぐに大変な経験をした狛犬ということになります。

P7272495

手水舎の様子です。一般的に吐水口は龍が使われていますが、ここは蛙です。ちょっと珍しいように思います。私は初めて見ました。説明書きがあったので記しておきます。 「宇太水分神社と蛙 蛙は湿地帯にいる両棲動物で水田耕作に深いつながりがあり、水の神さまの神使ともいえます。殿様蛙、森青蛙、雨蛙、赤蛙、河鹿蛙等々あり、虫をとるので人に益することも多く、前肢の指は四本、後肢の指は五本で当神社の国宝御殿組みのうちにある蟇股は蛙の座した姿を模したものであります。古池や・・・の俳句や道風の桺(やなぎ)に飛びつく蛙はあまりにも有名ですが、最近農薬の影響で少なくなるのは淋しいことです。 何とカエルの前足と後ろ足の指の数は違うのですね。知らなかった・・・。(^_^;) 四六のガマというのは前と後ろの指の数が違うから珍しく、霊験あらたかなんだと思っていました,

P7272525

手水舎の珍しい蛙の吐水口に気を取られていたのですが、ふと手水舎の屋根を見て、これにもびっくりしました。何と檜皮葺きの立派な屋根ではありませんか。こんな立派な手水舎も初めて見たような・・・。 本殿だけでなく、入り口の手水舎まで手を抜かない素晴らしい神社のように思いました。

P7272492

この立て札が、実は今回のお参りで、心に一番衝撃を受けたものです。「国宝の見学や写真撮影はあとにして、まず参詣しましょう。 宇太水分神社」 駐車場から境内に入り、先ず本殿の写真を撮り、次に一の鳥居から二の鳥居を撮り、祓戸神社・稲荷神社を撮るという行動をとっていた私なのです。立て札の標的は、まさに私のようです。ガーンと頭を引っ叩かれた感じ。そりゃそうですよね。神社にお参りに来たのですから、先ず神様に挨拶しなければダメですよね。反論不可の立て札です。大反省したことでした。こんな立て札があることは、私のような不心得者が多いからでしょうか。これからはこんな行動を取らないように注意することにしたいと思います。

宇太水分神社  その3 二樹

P7272499

二の鳥居をくぐってすぐ、右手にある杉の大木にびっくりさせられます。頼朝杉(二代目)とあるのですから・・・。説明文は読めるとは思うのですが、念のため転記しておきますね。 頼朝杉(二代目)源頼朝公が幼少時に当社に詣で、この杉苗が大きく育つことがあれば征夷大将軍になることが叶うであろうと、占うために植えさせたのが初代のものであると伝えます。水分の神の誓いを植えおきつ 後に栄の老杉を見む と詠ず 願いが叶った頼朝はこの杉を見に来たのでしょうか。 謂れを見るとすごい杉だと思うでしょう?私もそう思って説明文を読んだのです。ところが見上げてみると・・・

P7272500

あれっ!? 上がない! と拍子抜けしたことでした。 もしこの杉が生きていたら、すごい杉になっていたことでしょうね。

P7272505

こちらは本殿左にある夫婦杉。頼朝杉と違い亭々と天に向かって聳えています。説明文を転記しておきます。 夫婦杉 この二股に分かれた老杉は、夫婦になぞらえて「夫婦杉」と呼ばれております。根元は夫婦の和合を表しているようで大変めでたい木であります。十月第三日曜日の例大祭には、上芳野・惣社水分神社より女神様である速秋津姫命様の渡御があり、この根元に鳳連神輿を奉安し当社の男神様である速秋津彦命様とお逢いになられます。その事から、国宝の本殿に詣でたのち縁結びを願う人、また夫婦円満や家内安全、子孫繁栄を祈願する方々の姿がございます。 ところで、この大杉の根方に・・・

P7272506

こんな小さな石像と思われるものが置かれているのです。剃髪・結跏趺坐、そして衣やお顔の具合から見て神様ではなく、仏道を極めようとしている高僧のように見えるのですが・・・。なぜこんなところに置かれているのか、ちょっと気になる石像でした。

P7272535

夫婦杉の全景を載せておきます。写真真ん中の大杉が夫婦杉です。説明文にはご神木の文字は出ていなかったのですが、注連縄が巻かれていることから、多分これがご神木になるのだと思います。

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう