いい日旅立ち 第三陣  度重なる投稿、恐れ入ります

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昨日「いい日旅立ち 第二陣」を投稿したのですが、今朝も「ツバメの旅立ち」の日だったようです。ツバメは出発準備が整ったものから順次旅立っていくそうですので・・・。カメラを向けているとすぐ側まで飛んで来るツバメもいて、ツバメたちも名残を惜しんでいるようでした。(ファインダーに大きな黒い影が横切った時も2度ほどあったのです。残念ながらびっくりしてしまいシャッターを切ることは出来ませんでしたが・・・) このグループ、電車の響きに驚いて一斉に飛び立ったのですが、しばらく待っていても戻っては来ませんでした。きっと電車の音に背中を押されるようにして旅立ったのでしょう。

このところツバメの旅立ちの投稿ばかりでごめんなさい。実は、こんなに連続して旅立つ光景を見たのは初めてなのです。(今まで気がついていなかったのかも知れませんが・・・) ツバメの旅立ちの投稿は今回までにして、もしまた旅立ちを見たときは、今回のブログに「追伸」として載せていこうと思っています。

いい日旅立ち 第二陣

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今朝、新聞を取りに外に出ると賑やかな鳴き声が聞こえてきました。見上げるとごらんのようにツバメ君達がずらりと並んでいました。前回に続き、第二陣の旅立ちでしょうか。あいにく今日は曇り空。あまり「いい日旅立ち」とは言えないようですが、ツバメ君達、また元気で帰っていらっしゃいね。南の海には台風も発生しているようだから気をつけてね。

これまで何気なく見送っていたツバメ君達ですが、今回少し調べてみました。旅立ちの仕方は次のようです。①子育てを終えた親ツバメたちや子ツバメたちは川原のヨシ原などに数千、数万羽が住み着き旅立ちに備えて体力作りをする。(なるほど、だから八月の中旬ぐらいからツバメの姿が見えなくなっていたんだ・・・) ②準備が出来たツバメから順次南の国へ旅立っていく。今年生まれたツバメたちは体力をつけてから飛び立つため、親鳥たちのグループより遅れて旅立つそうです。 ③数千、数万羽といった大集団で移動するのではなく、小さなグループに分かれて移動するそうです。ですから多いと言っても、このように数えようと思えば数えられるほどのグループに分かれて飛んでいくのでしょう。 ④沖縄、台湾を経由しながら東南アジアに数週間から一ヶ月以上かけて目的地まで飛んでいくそうです。(やっぱり石垣島のバンナ公園渡り鳥観測所辺りも通って行くんだ・・・) こんな小さな身体で1年間に行きと帰りの2回、大旅行をするのですから、たいしたものです。旅立ちを前に、とまっているツバメ達をみても、ごく日常的な生活を送っているようにしか見えません。旅立ちで一番たいそうなのは、定住生活に慣れきってしまっている人間なのかも知れませんね。

いい日旅立ち・・・

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このところ、朝夕は涼しく、とても過ごしやすい季節になってきました。3日ほど前の朝、ツバメたちの賑やかな鳴き声で目を覚まし、窓から様子を見てみると、ツバメたちが電線の上にずらりと並んでお喋りをしていました。紀の川の流れに沿って川霧も立ちこめていて、秋の気配を感じます。いよいよツバメたちも南へ旅立つのでしょう。ツバメ君達、また来年も元気で会えるといいね、とお別れの挨拶をしていて、ふと思い出したのが石垣島で見たバンナ公園渡り鳥観測所。 ツバメ君達もここを通っていくのかしら・・・。その時のブログを見直してみて肝心の観測所の写真を載せていないことに気付いたので、今回遅ればせながら載せておきますね。(^_^;)

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これがその渡り鳥観測所です。上の方に手すりが見えているでしょう? その時のブログは、そこから見た景色だけを載せていたのです。今頃になって載せるのもおかしいのですが・・・。  お許しくださいませ。(^_^;)

世尊寺 その3 境内もろもろ (奈良県大淀町比曽)

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本堂裏にある芭蕉句碑です。芭蕉が当寺を訪れた際、詠んだ句で、「壇上桜 世にさかる 花にも念仏 まうしけり はせを」と刻まれています。聖徳太子お手植えとの伝説がある壇上桜ですが、芭蕉が訪れたとき、桜のシーズンだったのでしょう。今を盛りと咲き誇っている壇上桜の見事さについ念仏を唱えてしまいましたという意味でしょうか。その後、桜は台風で倒れてしまいますが、見事に再生し、今も桜の季節には見に来られる方も多いとか。

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その壇上桜なんですが、この横たわっている古い倒木が元の桜の木で、そこから伸びているのが今の壇上桜ではないかなと思います。句碑の左にも桜の幹が見えているようですが・・・。もし間違っていたらごめんなさいです。 桜以外にも秋の彼岸花も大変人気があるようです。でも近年イノシシなどの動物が荒らし回るため困っているそうですよ。

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本堂左奥にある十三重塔です。私がブログで取り上げたのは明日香にある檜前寺址にある十三重の石塔。その他にも般若寺、木造ではあるのですが、談山神社(たまたま十三重塔が写っていた写真ですが・・・)にもあります。この十三という数字、亡くなった方を供養するとき、各忌日(初七日から四十九日までと百か日、一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・三十三回忌)を司る仏として十三仏というのがあります。それに因んだものなのでしょうか。真言宗の勤行次第にも十三仏真言(南無不動 釈迦 文殊 普賢 地蔵 弥勒 薬師 観音 勢至 阿弥陀 阿閦 大日 虚空蔵大菩薩)として唱えています。もしかすると塔の各階がそれぞれの仏様を表しているのでしょうか。(これは私の勝手な想像かも競れませんが・・・)

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境内にある石像です。説明板はなかったのですが、羅漢像だと思います。寅をナデナデしているように見えるので、調べて見たところ伏寅羅漢かもです。間違っていたらごめんなさいです。

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これは子獅子が親獅子と戯れている様子を表した隅蓋瓦。精緻な造りと親子獅子の微笑ましい様子が印象的でした。ちょっと見にくいのですが、よくご覧になってください。(^_^;) このような瓦が、あちこちに置かれていたとことを見ると、世尊寺が何度も立て替えられた証拠になるのかなと思って眺めたことでした。

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わっ、猫ちゃんがいる! 可愛い猫ちゃんでしょう? でも実はこれ置物の猫ちゃんなのです。私も本物と思ってびっくりしたのです。どうしてでしょう。置かれている位置が猫が好みそうな絶妙な場所だからでしょうか。それとも私の方を見つめている猫ちゃんの目が本物感を出しているのでしょうか。前の住職は、最近いたずらをする小動物が出て困るので、少しでも威嚇になれば・・・と仰っていましたが、こんな可愛らしい猫ちゃん、果たして効果があるのかしら・・・。おまけの1枚でした。

これで、世尊寺の巻は終わりにしたいと思います。ながながとお付き合いいただき、ありがとうございました。

世尊寺を訪ねて その2 寺域もろもろ (奈良県大淀町比曽)

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鐘楼で定時の鐘を突いていらっしゃる前(さき)の御住職です。なぜ前の住職と分かるのかですって? 話せば長いことながら、少しお話をお聞き下さい。 世尊寺を訪れて拝観を希望する旨お伝えしようとしたのですが、誰もいらっしゃらない。庫裡の戸に、ご用の方はお電話くださいと電話番号が書いてある。電話をすると、すぐに戻りますので境内でも見てお待ちくださいとのこと。指示通りあちこち見て回っている内に戻っていらっしゃった。そして「丁度鐘を撞く時間ですので少しお待ちください」と鐘楼の方へ歩いて行きなさる。じゃあ鐘を撞いているところを写真に撮らせていただこうと、カメラを構えて待っているとゴーンと鐘の音。そして、写真を撮ろうと見上げている私達に、上がってきなさいと声をかけてくださった。えっ、登ってもいいの?と思いながら急な階段を二人で上って行くと、どうぞ鐘を撞いてくださいと仰ってくれた。ちょっとびっくりしたのですが、あと3回撞かなければならないのでと引き綱を渡してくださった。あまり強く打つのもはばかれるので力加減しながらゴーンと撞いた。もう少し強くね、と今度は伴侶の手に・・・。ゴーン。そうそう、今度はもっと強く突いてくださいね、と最後の鐘を私に撞かせてくださったのです。ゴワーン~。 そうそうそれでいいですよ。この鐘は1日一回だけ撞くことになっているそうですが、除夜の鐘を撞くときは多くの人が列をつくるのだそうです。なんとラッキーなときに来たものだと伴侶と喜んだことでした。貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。

ところで、この鐘を撞かせて下さった方が本堂へ案内してくれ、今日も暑いですねとエアコンを入れて、お寺の歴史や見所などを丁寧に説明してくださったのですが、お話しの前に自己紹介されて前のご住職と言うことが分かったのです。気さくで話し好きの方のようで、厳しい修行で知られる禅宗のお坊さんとは思えないぐらい・・・。それはもういろいろなお話をしてくださいました。見学を終えて庫裡まで戻り、御朱印をお願いしたのですが、書いている間、境内を見ていらっしゃいと勧められ、再び境内の見学をすることにしました。本堂でのお話で詳しく説明してくださっていたので、見るべきところは全部見たように思います。多分・・・。

再び庫裡に戻ってくると、お茶とお茶菓子を出してくださり、お話をお聞きしながら楽しいひとときを過ごしたのです。「こんな経験、初めてだね。五條市の大澤寺(その1、その2,その3)に行ったときお茶を出していただいたことはあったけど・・・」と幸運な参詣を喜びながら帰路についたことでした。という、経験し難いことがあったのです。

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山門と中門の間には西塔と東塔跡の礎石が残っています。これは木立の陰で見にくいのですが、西塔の礎石です。説明板の内容を転記しておきます。「この塔跡は、飛鳥時代に創建されたとされる三重塔跡であり、西天中礎(西塔の心礎と言うことでしょうか)を含めて13個の礎石が残っています、寺伝によると、33代推古天皇が夫の帝・30代敏達天皇のために建立されましたが、相次ぐ戦乱に災いされ惜しくも西塔は「賊の手によって焼失せり」と今昔物語に記されています」 今昔物語の11巻23話に光を放つ本尊とされていた放光楠像のこと、排仏派の物部守屋によって堂宇が焼き払われたこと、そしてこの時、本尊は窃(ひそ)かに稲わらの中に隠していたため難を逃れたので「ひそ寺=比曽寺」と言われるようになったと言うようなことが出ています。

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こちらは東塔跡です。こちらの方が礎石がはっきり判るかと思います。説明板の内容を転記しておきます。「寺伝によると、聖徳太子が御父31代用明天皇のために建立され、その後鎌倉時代に改築されたことが礎石の一部によって知ることができます。やがて文禄3年(1587年)豊臣秀吉によって伏見城に移されました。さらに4年後、慶長6年(1601年)徳川家康によって大津の三井寺に移建され、現在國の重要文化財として残っています」 前のご住職の話によると、この塔の美しさに惚れ込んだ秀吉が自分の伏見城に移築したとか。それをまた徳川家康が三井寺に移したようで、天下人の持つ力の大きさが窺えるようです。

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多分、この三重塔が、かつてこのお寺にあった三重塔だと思います。この写真は20年以上も前、西国三十三所巡礼で三井寺に参拝したとき撮った写真です。たまたま残っていたので、ピンボケで恥ずかしいのですが載せておきます。なかなか立派な三重塔です。こんな大きな塔を秀吉は移築したのですね。

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こちらが、位置と形状から見て、多分三重塔の心柱を支えていた心礎だと思います。この心礎の位置から周囲をながめてみると、往時の塔の様子が想像しやすくなるように思います。かつてこの礎石に建っていた三井寺の三重塔(写真ですが・・・)も自分の古巣を懐かしく見ているのでしょうか。

世尊寺を訪ねて その1 (奈良県大淀町比曽)

皆様、世尊寺ってご存じですか?日本書紀にも記載されている聖徳太子所縁のお寺で、比曽寺跡は國の史跡に指定されています。世尊寺と比曽寺の関係は?と思われるかも知れませんが、このお寺は昔から吉野寺、比曽寺(比蘇寺)、現光寺、栗天奉寺(りつてんぽうじ)、そして現在の世尊寺と寺名を五回も変えた珍しいお寺なのです。それでは歩を進めて参りますね。

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世尊寺の山門です。右に不許葷酒入山門の石碑が・・・。これは禅宗のお寺によく見られるものです。世尊寺は曹洞宗のお寺なのです。左には史跡比曽寺跡の石碑が立っています。

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山門をくぐると右手に神社が鎮座しています。お寺の中に神社というと、神仏習合の名残なのかも知れません。

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案内書には鎮守社と書かれている五間社流造の天照大神社です。江戸中期の建造とされているようです。鎮守社と言うぐらいですから、村の守り神なのでしょうか。 村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 どんどんひゃらら どんひゃらら 朝から聞こえる笛太鼓。もうすぐ秋祭りが始まるのかしら・・・。

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中門です。扁額には山号・霊鷲山の文字が刻まれていて荘重な雰囲気を醸し出しています。中門をくぐると・・・

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左が太子堂、右が本堂です。本堂へ続く石畳の左右には多分昔の堂宇の礎石と思われる石が並んでいました。このことから往時は相当大きな伽藍であったことが窺えるように思います。

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本堂です。中には阿弥陀如来座像が本尊として祀られています。日本書紀に欽明天皇の御時に茅渟の海(大阪湾)に光を放って浮かんでいる楠の木が見つかり、それを引き上げ仏像を造って吉野寺に祀つり、放光楠像と言ったそうです。現在祀られている本尊はヒノキ造りですが、元のクスノキ造りの放光楠像としてお祀りしているようです。弥陀定印(上品上生)の印相を組まれた阿弥陀如来座像のスリムな体つき、左右対称の通肩の衣紋などを見たとき、思わず、あれっ、飛鳥仏みたいな雰囲気の仏様だねと伴侶と話したことでした。もちろんアルカイックスマイルや杏仁形の目ではないのですが、優しそうな眼差し、微笑まれているような口元には、いつまでも心静かに向き合っていたいような慈愛に満ちたお顔をなさっています。左には十一面観音立像が祀られていました。光背は下が緑の山で上が朝日に輝く空を壁面に描いているというモダンな造りでしたが、ライトアップすると、見事なほど古い観音様とぴったりとマッチしているようで、とても素敵でした。

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聖徳太子をご本尊とする太子堂です。こちらの内部拝観は叶いませんでしたが、県の有形文化財(建造物)に指定されています。説明板の内容を転記しておきます。 世尊寺太子堂 聖徳太子を本尊として建立された堂で右手に柄香炉を持った太子十六才の孝養像が安置されていた 建立年代については詳らかでないが角屋の鬼瓦に享保七年(一七二二年)同九年(一七二四年)の瓦銘がみえ内部の虹梁絵様 蛙等の細部様式とも考え合わせて十八世紀前期頃に建てられたと考えられる。なお寛政八年(一七九六年)の修理札がありこれを裏付ける。この世尊寺太子堂のように仏壇部を角屋として突出させる形式は県内でもあまり例を見ないものであり興味深い建築といえる そのため平成元年三月十日奈良県指定文化財となった。

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こちらは境内から見ると、中門左手に位置する鐘楼です。こうして回廊の一部に組み込まれている鐘楼も美しくていい雰囲気ですね。この鐘楼にまつわるお話は次回に書くことにします。

物騒な世の中・・・

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今朝の新聞の地方版に「孫に頼まれて・・・ 高額購入に違和感 和歌山のコンビニ店員ら詐欺被害防ぐ」の見出しが・・・。高齢女性がプリペイドカード30万円分を購入しようとしているのを不審に思い、警察に連絡するなどして詐欺被害を未然に防いだという記事です。よくある話で、よかったと思う反面、人を欺して金品を盗もうとすることが珍しくない世の中になってきていることに腹が立ちます。当時、まだ小学校3年生ぐらいだったお兄ちゃん(孫)が、机の上に置いてあった使用済みのカードを見て「じいちゃん、大丈夫?」 と心配そうに尋ねてくれたことがあるのです。小さな子供でもそんな危険性を知っているのかと、驚きもし、情けない世の中になったことを残念に思ったものです。

ところで、私宛のメールに沢山の迷惑メールが入り出したのはいつ頃のことでしょう。最初は削除、削除で済ませてきたのですが、その作業も面倒になり、それらを迷惑メールに指定しブロックを繰り返したところ最近は一日に数件目にすることがあるかないかになってきて、ほっとしています。昔はネット通販で買い物をするとき、フリーメール不可という店も多く、プロバイダーから提供されるアドレスを使っていたため、それが流出したのかと思います。アドレスを変えれば済むのですが、これまでの繋がりもあることに加え、愛着もあるので、踏み切れずにいます。大量に送られてくるこういったメールを見て、いったい何人の人が、何台のパソコンを使ってそういう迷惑メールをひたすら送信しているのだろうかと思うと情けなくなってきます。これも情報化社会の発達の負の側面だと思います。昔は架空請求はがきというのがありましたね。でもこれは郵便料金を支払わなければならないという、それなりの投資をしての迷惑行為だったのですが、今は無料で大量に送ることが出来るようになってきているという点で、より悪質になっていると言えるかも知れません。人を欺して儲けようなんてこと、考えるなよ!と声を大にして叫びたい気持ちです。

この植物の名前、お分かりですか?

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何十年来、我が家の玄関脇に架けてある鉢植えの植物なのですが、この写真を見ただけで名前がお分かりですか? 私も千手観音が手を差し伸べているような、こんな様子は始めて見たように思うのです。というか、見ていても気に留めてもいなかったのかも知れませんが・・・。(^_^;) それでグー〇ル・レンズで試してみたのですが、答はこうでした。「画像に写っている植物は、イヌマキ(マキ科)やナギ(マキ科)、あるいは細い葉を持つマツ科・スギ科などの針葉樹の若枝や新芽のようにも見えますが、正確な品種の断定は難しい状態です」ですって。答は全部ハズレです。ということは、私が見過ごしていたとしても、それほど恥ずかしいことではないのかも・・・なーんて、自己弁護をしている私です。 それでは次の写真を見てお考えください。

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もうお分かりと思いますが、答はオリヅルランの長く伸びたランナーです。蕾らしきものも見えますので、これから花が咲くと思われます。花は咲いているのに気づいたことはあるように思うのですが・・・。考えてみれば、このオリヅルランは我が家で一番長命な植物のうちの一つ。(一番長命なのはマランタです。また機会があればご紹介しますね) これまで気がつかなくてゴメンと謝りたくなる気持ちでいます。 (^_^;)

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そうこうしているうちに小さな花が開きました。将来オリヅルになる葉の陰に隠れるように咲いていました。翌日見ると花はもう散っていました。どうやら一日花のようです。なるほど、そういう訳で余り印象に残っていなかったのかも知れません。(ここでもしっかり言い訳をしている私です) (^_^;) オリヅルランは最もポピュラーな観葉植物として知られていますが、皆さま、こんな花をご覧になったことはありますか?

えっ、AIの発達が人類を滅ぼす・・・ですと?

AIが人類滅ぼす「プランD」 止まらぬ開発競争 研究者が危機感。 これは8月25日の朝日新聞のトップ記事に取り上げられた衝撃的な見出しです。私が今年の5月に「続・過度の情報化社会の発達でアホになっていく?その1,その2、その3」の表題で投稿したのですが、それどころの話ではないような事態になっているようです。
ちなみに「プランD」というのは米中の開発競争が続いてAIの性能向上が止まらなくなり、やがてAIが自らの生き残りを考える中で人類が邪魔になってきて、最後には生物兵器が用いられて人類は絶滅に向かうという道筋のことだそうです。そんなアホなと思われる方、7月には開発中のAIが人間の意図に反して、他社にサイバー攻撃を仕掛けた事件があったそうですよ。サイバー攻撃で思い出すのが、昨年、某ビール会社が攻撃を受け、長期にわたり身動きがとれなくなった事件を思い出します。これはサイバー攻撃が人間が生きていくためのサプライチェーンを破壊する可能性があると言うこと。もしこれがもっと広範囲な攻撃であれば、物資の流通は止まり、人間が生きていくことができなくなる事態に発展しかねないと言うことです。更に見出しには「超知能 研究者の警告」「核兵器と似た抑止策を 同じぐらい危険」「弱点を見つけて人を欺く 自立的に磨く能力」「競争遅らせて 開発現場1300人超が声明」と衝撃的な見出しが並んでいました。
1990年代に漫画家・岡崎二朗さんのアフター0の作品にコンピュータの発達が人類の脅威になると言った内容のものがありました。これまでブラックジョークとして読んでいた物語ですが、現在の事態を予言していたことになります。
本来は人間の生活を便利に豊かにするはずの技術の発達が、下手をすると人類を滅ぼしかねないものになってきていることを改めて認識しなければならない時代になってきているようです。

歴史的に見て、ダイナマイトの発明に始まり遂には核開発と、科学の発達と戦争は切っても切れない関係にあったように思います。それが今や、人間同士が武器を持って直接血みどろの争いをすると言った時代はもう過去のものになりつつあるのかも知れません。ミサイル、ドローンと言ったものが使われ、それを操っている戦争遂行者は争いの渦中にはいないのですから・・・。AIのさらなる発達により、これからの戦争は、直接人を殺めたりはしないものの、生活する術をなくすることによって相手を追い詰め、滅ぼしていくという形になっていくのかも知れません。残酷で直接的な殺戮は時代遅れになり、これまで非人道的とされてきた武器の使用はなくなるかも知れませんが、それで良しとは言っていられません。便利だからということで、情報化社会の波に飲み込まれようとしている現在ですが、果たしてそれが正解なのでしょうか。私にはそういった動きがなんとも危ういように思えてならないのです。電気が止まればお手上げになる社会、サイバー攻撃に常に備えていても、いつシステムが壊されてしまうかわからない恐怖に常に向き合っている世の中になっているんですよね。 こんな動きを傍観していてよいものでしょうか。今こそ人類の英知でこういった問題を克服していかなければ大変なことになってしまわないかと危惧しています。

☆よろしければアンダーラインの部分をコピペ、検索して、事件の内容をご確認ください。

私が中一の頃には、どんなことをしていたのだろう

まだまだ小さい少年だと思っていたお兄ちゃん(孫)も、今年から中学生になりました。でも大人びてきたというような感じはなく、まだまだ可愛いらしい少年です。夏休み、我が家での滞在を終えて、また来るねと言って帰って行ったのですが、ふと私が彼と同じ年頃、何をしていたのだろうかと思い、記憶をたどってみました。

私が中学1年生の時のことです。友人から自作の天体望遠鏡で月や木星などを見ていると聞き、望遠鏡って自作できるんだとびっくり。早速友人宅を訪れ見せてもらいました。その望遠鏡は厚紙を丸めて作ったものでしたが、これでもちゃんと見えるんだよ、ただ強度がないので不安定なのが困るんだけれどねと教えてもらったのです。一度は自分の目で、月や木星、土星などを見てみたいと思っていたのですが、望遠鏡なんて当時の私のお小遣いぐらいでは手が出る代物ではなかったのです。そこで、早速教えてもらったレンズセットを購入し、望遠鏡製作に取り掛かりました。友人のアドバイスで鏡筒にはレンズと同じ直径の塩ビパイプを使うことにしました。それなら厚紙と違ってグニャグニャと不安定な状態にはならないはずだと考えて・・・。建材店で対物レンズの直径と同じ太さのパイプを見つけ、焦点距離より少し短いパイプ一本(これを鏡筒にする)と、5cmぐらいの短いパイプ(こちらは対物レンズを鏡筒に固定させるためのもの)の二つを切ってもらってきました。短い方のパイプの外側に幅10cmぐらいの厚紙をきっちりと巻きつけ、長い方のパイプ、即ち鏡筒にかぶせるようにすっぽり差し込めるようにしたのです。そして、鏡筒の前に対物レンズを置き、そこへ厚紙を巻いた短い方のパイプをはめ込んで対物レンズを長短二つのパイプで挟みこんで固定しました。次は接眼部ですが、これは別売りの接眼レンズのホルダーを買い求め、それに厚紙をきっちり巻いて筒状に固定して接眼部を作りました。鏡筒の後ろ側ににすっぽりとはめ込めるように接眼部に雑誌をまきつけ、鏡筒にさし込んで望遠鏡を完成させました。 出来た望遠鏡が塩ビパイプのうえ、長さが約1mと少々重たかったのですが、物干し台の物干し竿に乗せてお月様のクレーターを見たときの感動は今でも忘れることが出来ません。さらに木星とその衛星、土星とその輪など、望遠鏡をのぞき込むのが楽しくて・・・。そのうち、物干し台に望遠鏡を乗せて観測するのは、見える範囲が限られるので、木製の三脚まで作ったのです。少々ぐらぐらしていましたが、それなりによく見えたように思います。天文年鑑という本を買い、月や惑星の動きを調べ、観測に適した日が来るのを楽しみにしていたものです。
それから幾星霜、その頃の感動が忘れられず、収納のことも考えて天体望遠鏡ではなくフィールドスコープを購入し、たまに星空を眺めています。ただ昔のようなわくわく感というか、ときめきはなくなっていますが・・・。やはり若い頃というのはいいですね。何事についても情熱的に取り組むことが出来て、そのうえ感受性も豊か。本当に貴重な時期だったんだなあってつくづく思います。    

それに、こんな事件もあったっけ。 あるとき友人から夕日がまぶしくなくなっていたら直接望遠鏡で太陽を見ることも出来るんだよと教えてもらい、早速試してみることに・・・。やってみると、それまで白い紙に写して見ていた太陽より、本当にくっきりとよく見えたのです。黒点もはっきり見ることが出来ます。感動して太陽が沈んでしまうまで見ていたのです。それから望遠鏡を片付けようとして、異変に気がついた。左目の前に何かしら紫色のモヤモヤしたものが見えていて、ものを見ることが出来なくなっていたのです。親に話すと心配をかけるとと思い、話すことが出来なかったのです。このまま目が見えなくなったらどうしようと不安な気持ちいっぱいで寝たのですが・・・。翌朝目覚めて、周囲を見るとあの紫色のモヤモヤが消えて、普通に見えるようになっていました。よかったと胸をなで下ろしたことは今でも忘れられません。勿論、この事件のことは、今は亡き父母も知らないはずです。

そんな危ないこともあったけど、今から思えば、何物にも代えがたい懐かしい思い出です。そんな一生心に残るような思い出をお兄ちゃんも作って欲しいと切に願っている私です。 お兄ちゃん、今がいろいろなことに挑戦するチャンスなんだよ・・・。

参考までにAIを用いて自作の望遠鏡を描かせたものを載せておきます。ちょっと違っているように思うのですが・・・。(^_^;)

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作図の指示がまずかったのかも知れません。対物レンズ側の厚紙がパイブの内側に入ってしまっている・・・。接眼部は巻き込んだ雑誌ごと塩ビパイプの中にさし込めばOKのようです。なかなか指示通りの図を描かせるのって難しいものですね。表現力(国語力)が不足しているのかも知れません。

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