
いつの頃読んだのか定かではないのですが、神武天皇と国栖衆ということが私の頭にインプットされているのです。今回、丹生川上神社中社へ向かう途中、「国栖」と書かれたバス停を目にしました。「ここだったのか、ここは神武天皇と所縁のある地。絶対に神武天皇と関わりのある神社があるはず」と例の私の思い込み。帰りに寄ってみなければと思いながら、丹生川上神社の参拝を済ませたのですが、さて、その帰り・・・

例によって伴侶がこの石碑を見つけました。「魚見石」と刻まれています。魚見石の由来について説明されていましたので転記しておきます。「神武天皇御東征の砌、丹生川上の地に於いて天神地祇を祀り大和平定の成否を問われ、厳瓮を丹生川上神社の神域の夢淵に沈められるや、やがて吉兆のあらわれ大小の魚、木の葉の如く酔い流れ尊い神助の瑞祥を得られた。その魚の流れる様を臣の権根津彦が見届けた場所を古くより魚見石と言い伝える。昭和十二年五月史跡顕彰の為、石碑を建立するも両三度の災禍を蒙り、川筋の景観一変せるを以て小区篤志の協賛により碑を高所に迁し、顕彰のの意を継ぐ。昭和五十六年八月六日造成」 ほら、やっぱり神武天皇が出ている。きっと国栖にも神武天皇所縁の神社があってもおかしくないと確信し、車を走らせました。

国栖の集落に入ったところにこんな立派な神社が建っています。でも、御霊神社と書かれていました。以前、五條市にある御霊神社を訪ねたことがあるのですが、そこは井上内親王を祀った神社。その他にも非業の死を遂げた早良親王、橘逸勢などを祀ったものもあるようですが、神武天皇と御霊神社がどうしても結びつかない。それでこの神社の前の駐在所に居られたおまわりさんに聞いてみることに・・・。「あのー、国栖に神武天皇路祀った神社はありませんか」何の根拠もない私の質問にあれこれ資料を取り出して親切に調べてくれたのですが結局分かりませんでした。それで、これも何かのご縁と御霊神社にお参りすることにしました。

神社は見上げるような高いところにあります。下りに弱い伴侶を残して一人でお詣りすることにしました。

登ってきたものの、どなたが祀られているのか皆目分からない。あきらめて急な階段を降りていったのですが・・・

おーっ、神武天皇の名が刻まれた石碑があるではありませんか。明治天皇・神武天皇 遙拝所とあります。遙拝所は遠くから拝む場所。ですからここは明治天皇(東京)と神武天皇(橿原)を拝む場所なのかしら・・・。良く分からないのですが、神武天皇の名があった事に満足して御霊神社を跡にしました。親切なお巡りさんにお礼を言って出発する時、「お気をつけて」と声をかけてくださったのが嬉しかったです。実は、このときもう一つ行ってみたい神社があったのです。丹生川上神社を出発する時、適当に見当をつけてカーナビにセットしておいた神社です。すぐ近くだったので行ってみることにしたのですが・・・。 ここからちょっと変な話になります。よろしければ読んでみてください。もうここでやめてもらっても結構です。
駐在所を出てからナビの示す神社は川向こうになっていました。橋を渡ってナビの指示通りに進んでいったのですが、道が山の方に入っていくし、だんだん細くなってくるので、大丈夫かなと思いナビを確かめてみると、目的の神社は向こう岸(通ってきた方の側)になっている。あれっ、間違ったかなと思いながら元来た道を引き返したのですが、今度はまた目的地の神社は対岸にあるようになっている。それで再び橋を渡り、最初通った道を進んでいったのですが、ナビを見てみるとやはり目的地は対岸になってしまっている。なんじゃ、これ。変なのと思い、ついにあきらめて帰途についたのですが、ナビを見ていた伴侶、やっぱり川の向こう岸になっているよ。来るな!と神様が言っているのかしら・・・、 こんな変なことってあるのかしら・・・。御霊神社に何か失礼なことをしたのかしら等といろいろなことが頭をよぎるのですが、みんな忘れることにして帰ってきました。本当に不思議な出来事に出くわしたものです。長く生きていると不思議な事の一つや二つ、巡り会っても不思議ではないかと・・・。
ということで、丹生川上神社中社のブログはお開きにしたいと思います。お付き合い頂きありがとうございました。途中、いろいろ寄り道してごめんなさい。