千姫供養塔(高野山・奥の院)


千姫供養塔

千姫は二代将軍徳川秀忠と江姫(浅井長政の娘。母親は織田信長の妹お市の方で、江姫と淀君とは姉妹)の娘で豊臣秀頼の正室。この供養塔のすぐ右に母・江姫すなわち崇源院の供養塔があります。織田信長・浅井長政は、ともに滅んでいますが、その血脈は千姫や三代将軍家光へと受け継がれています。滅ぼされたはずの血筋が実は続いていたなんて・・・。このような例は他にもありますが、意図的になされたものか、偶然のなせる技か・・・。結果的にそうなったのでしょうが、それにしても歴史って面白いものですね。千姫は秀頼の死後、本多忠政の長男・本多忠刻に再嫁することになります。

天樹院

五輪塔の地輪には天樹院殿栄誉源法松山禅定尼と刻まれており、千姫の供養塔であることがわかります。ところで、この文字を撮ろうと五輪塔のすぐ側まで近づいたのですが、その大きさにびっくりしました。隣の崇源院の供養塔が一番石といって奥の院で一番大きな五輪塔なので、千姫の供養塔が小さく見えていたのかもしれません。何度も訪れていながら初めてその大きさを実感しました。皆様も崇源院の供養塔を訪れたとき、隣の千姫の供養塔まで、ほんの少しだけ足を延ばしてみてください。そして、すぐ側まで近寄ってご覧になってください。きっと驚かれることでしょう。 追記:折角ここまで来られたのですから、この近くにある墓所も是非ご覧になられてはいかがでしょう。徳川家所縁の方々の墓所が集まっている場所のように思います。越後高田藩 松平綱賢五輪塔徳川綱重墓所播磨姫路 本多家墓所松平直忠墓所天崇院墓所です。いずれも私のブログの記事にリンクしていますので、参考になさってください。

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