50周年の紀南プチ旅行 その1 橋杭岩 (和歌山県串本町)

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10数年ぶりに訪れた橋杭岩です。これまで橋杭岩は通過地点だったため、あまりゆっくり見学したことはありませんでした。今回は伴侶と一緒になって50周年を記念した小旅行。近場でのんびりしようと言うことでやって来たので、心ゆくまで雄大な景観を楽しむことができました。潮が引いているようだったので、早速磯遊び?を楽しんでいらっしゃるお方が一名。いい年をして・・・。周りを見てご覧よ、そんなところまで行っている人はだれもいないよ。

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穏やかな海と言っても、橋杭岩の外側は大洋の荒々しさを見せているようです。橋杭岩の伝説が書かれていたので、それを転記しておきます。 きっちりと読んでいらっしゃる方はいらっしゃらなかったようですので・・・。

橋杭の立岩伝説 昔々、弘法大師と天邪鬼が熊野地方を旅したときのことです。  天の邪鬼は弘法大師と話をしているうちに次第に大師の偉大さに圧迫されるように感じていました。我こそは世界一の知恵者であると自負している天の邪鬼は、なんとかして弘法大師の鼻をあかしてやりたいものと考えた末、妙案が浮かびました。「弘法さん、大島はご覧の通り海中の離れ島で、天気の悪い日には串本との交通が絶え島の人は大変困るそうですが、我々はひとつ大島と陸地との間に橋を架けてやろうじゃありませんか。」と誘いをかけました。 「それが良い、それが良い。」と弘法大師も早速賛成しました。「ところで、二人いっぺんに仕事をするのもおもしろくない。一晩と時間を限って架けくらべをしましょう。」と天の邪鬼は言いました。 いかに偉い弘法大師でも、まさか一夜で架けることはできまい。今にきっと鼻をあかしてやることができると天の邪鬼は内心喜んでいました。
いよいよ日が暮れて弘法大師が橋を架けることになりました。一体どうして架けるのだろうと、天の邪鬼はそっと窺っていると、弘法大師は山から何万貫あるかわからない巨岩をひょいと海中に立てています。2,3時間のうちに早くも橋杭がずらりと並びました。天の邪鬼はこの様子を見て、「大変だ!大変だ!この調子でいくと夜明けまでには立派な橋ができあがる。」とびっくりして、何か邪魔する方法はないかと考えた末・・・。 「コケコッコー」と大声で鶏の鳴き真似をしました。すると弘法大師は「おやもう夜が明けたのか?」と自分の耳を疑って聞き耳を立てていると「コケコッコー」やはり鶏の鳴き声がしました。弘法大師は本当に夜が明けたのだと思ってついに仕事を中止してしまいました。そのときの橋杭の巨岩が今に尚残っており、列岩の起点には弘法大師の小宇が祀られているそうです。

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橋杭岩もアップにしてみると鋭く切り立った岩に迫力を感じます。 ここで橋杭岩の成り立ちについての説明が書かれてあったので、簡単に書いておきます。

①元あった泥岩の層の間にマグマが貫入し冷えて固まって火成岩ができる。②海底の隆起により浸食されやすい泥岩は削り取られて、火成岩が露出してくる。③波による浸食が進み海側が深くなる。④大地震のとき発生した津波が崩れた火成岩を陸側に運ぶ。その結果、幅15m、長さ約900mにわたって橋脚のような巨岩が、紀伊大島に向かってまっすぐに並んでいます。⑤海岸に散在している岩は、橋杭岩が壊れたかけらです。橋杭岩から離れたところにある大きな岩は巨大地震による津波で運ばれたものと考えられています。

なるほど、それで磯に黒い泥岩があったんだと納得。

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橋杭岩の全景を見ようとあちこち歩き回った末、橋杭岩の根っこに当たる弘法大師堂へ向かう途中で撮った写真です。荒々しい景色も、植物が入ることで優しい風景のように感じられるのが不思議です。でも、右にある大きな岩で、それより向こうの岩の列を見ることはできませんでした。

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