彦坂元正、彦坂吉成墓所? (高野山・奥の院)

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まずは手前の五輪塔についてです。花立てがある面には・・・

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分かりにくいのですが、分かる部分だけを記しておきます。「〇宕聚林・・ 〇勝院殿花〇〇 夢庵幻身居 明鑑心光大」のように思えるのですが、今ひとつはっきりしません。次は右側面です。

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「俗名彦坂小刑部 命?日寛永十一夭正月 春?日 寛永十五夭十月廿四」とあるように思うのですが・・・。彦坂小刑部なる方を検索してみると、 本名は彦坂元正という方のように思われます。父・光景と共に徳川家康に仕え、検地に功績があった方のようです。関ヶ原の戦いでは小荷駄奉行、その後は東海道の整備に尽力するなど、武力による仕事よりも、裏方のような仕事が得意なような方のようです。場所は薩摩島津家墓所の左奥、越前松岡初代藩主 松平昌勝五輪塔の側になります。彦坂小刑部という文字と没年が寛永十一年正月という二つで彦坂元正ということにしたのですが、あまり自信はありません。

次は1枚目の写真の左にある墓石についてです。写真に見えている面には「彦坂平九郎源吉〇。〇の字はなんと言う字なのか分かりません。この墓石を反対側から見ると

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丸に二つ引き紋が描かれており、龍・・・とあるのですがこれも分かりません。戒名は法弓?院殿隠誉・・・とあるように思います。彦坂平九郎という名をネットで検索してみると、彦坂吉成という方のようですが、詳細は分かりません。いずれにしろ、彦坂・・とあるので、彦坂小刑部の係累に当たる方では亡いかと思っています。ややこしいことですみません。でも、少し手がかりを感じたように思ったので載せることにしました。お詳しい方いらっしゃいましたら、ご教示頂ければうれしいです。

※いつもお世話になっているM.I様から、この件についての情報を頂戴しましたので、載せておきます。
彦坂の墓石について。

寛永十一夭正月正月の下に正月八日とあるので、元正の墓です。

正面右側に
①「〇宕聚林居士」②「〇勝院殿花〇春」とあり、

右側面に
①「俗名彦坂小刑部 命日寛永十一夭正月八」②「 春命日 寛永十五夭十月廿四」
正面左側に
③「夢庵幻身居士」④「明鑑心光大姉?」とあり、
左側面
③「彦坂市兵衛尉源 命日万治二年十月」④「心光命日 慶安三」
とあり、彦坂小刑部元成夫妻と彦坂市兵衛夫妻の4人の墓と思われます。

彦坂市兵衛については存在含め全く不明です。
なお、左側面には③④の命日のほか、建立日であろう「寛文十年六月廿五」と
「施主一〇〇」もあります。

3 Responses to 彦坂元正、彦坂吉成墓所? (高野山・奥の院)

  1. elvira797mx says:

    Dear Asamoyosi
    Wonderful photos, thank’s for share.
    Have a nice day.
    Elvira

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