作州津山藩家臣大熊氏墓所 (高野山・奥の院)

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前々回の「木食法印五輪塔」に続いて偶然目にとまった墓石です。結城秀康石廟の手前、左に続く小径を歩いていた時、あれっ?と思った墓石です。なぜ目に留まったかというと、私のふるさと作州津山の文字が目に入ったからです。左の碑には「作州津山少将殿家臣大熊将監 清蓮院殿浄〇榮然? 正徳五乙未年・・・」、右の碑には「作州津山城主松平越後守家中 大乘院殿・・ 寶永五戊子・・」とあります。同じような形の碑で、あまり年も離れていないことから、ご夫婦の墓ではないかと思っています。大熊氏は津山藩の重臣で、年代からすると津山藩初代・松平宣富に仕えた方ではないでしょうか。戒名から受ける感じでは、右の大乘院が夫で左の清蓮院が奥様ではないかと思っています。

ところで真ん中の碑なのですが、「播州赤穂浅野内匠頭殿御家中 樹林院月山性夏大姉追善 元禄三夭六月十五日奥野長太夫為内室」と刻まれているように思います。元禄三年は江戸城松の廊下事件の約十年前。「浅野内匠頭 家臣 奥野」で検索してみると内匠頭の家臣に奥野定良という方がいらっしゃるのです。でも、その方が長太夫と名告ったとは記載されていません。ここからは私の妄想です。この墓石の配置からして作州・大熊家の娘が赤穂・奥野家へ嫁いで夫より先に亡くなった。その後の浅野家の混乱で安らかに祀ってもらえることも出来なくなり、娘の菩提を弔うため、大熊夫妻の真ん中に祀った・・・。という物語はどうでしょう。とまあ、こんな調子でふらふらと奥の院を彷徨っている私です。

5 Responses to 作州津山藩家臣大熊氏墓所 (高野山・奥の院)

  1. elvira797mx says:

    Dear Asamoyosi
    Awesome photo, thank´s for share.
    Have a great day.
    Elvira

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