薩摩島津家初代二代墓所(高野山・奥の院)

薩摩島津家墓所

外様大名の雄として有名な薩摩藩。その初代藩主の家久、二代藩主の光久、そしてその子・綱久の三方の墓所です。綱久は世嗣として3代藩主になるはずだったのですが、早くに亡くなったため、その長男の綱貴が3代藩主になります。このように藩主でなかった綱久を一緒に祀ろうと考えることが出来るのは、3代藩主綱貴でしかないと勝手に思っています。曾祖父・祖父・父に当たるのですから肉親の情としてこのような形になったのではないでしょうか。いつものことですが、これも私の勝手な思い込みですので、間違っていたらごめんなさい。でもこんな風に自由に勝手な想像を膨らませながら見て回るのは楽しいものです。ところで、島津家の人と言えば義弘、ずーっと時代は下って斉彬、久光ぐらいしか知りません。奥の院にはこの墓所以外にも島津家の墓所があります。どんな方が祀られているのか、判ればそれらの人のことも少しばかり調べてみたいと思っています。関ヶ原の戦いで西軍につき、猛将として知られている義弘などが祀られていれば面白いのですが・・・。なお、中央の一番大きい初代藩主家久の五輪塔は奥の院で4番目に大きい4番石と言われているそうです。 追記:2017年5月7日のブログ「薩摩島津家墓所」も併せてご覧ください。

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