修復された豊臣秀頼と淀君の五輪塔 (高野山・奥の院)

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少し前、豊臣秀頼とその母・淀君の五輪塔が修復されたことをニュースで知り、行ってみなければと思っていたのですが・・・。行ってみてびっくり。こんなにきれいになっているとは思ってもいませんでした。修復前の状態は2016年12月に「微妙なバランス」ということで取り上げたのですが、それが次の写真です。

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その後2018年に起こった大阪北部地震で、この五輪塔のことが心配になり、崩れていないかどうか確かめに行き、無事だったのを見て胸をなで下ろしたことでした。その時、地輪の文字を読んでみようと思ったのです。その結果、豊臣秀頼と淀君の五輪塔ではないかという結論に達し、表題に「豊臣秀頼と淀君の墓所?」という記事をあげたのです。「?」マークをつけたのは、文字がとても読みづらく、100%確信が持てなかったからです。今でもその時の驚きと感動ははっきり覚えているほどです。今回修復されてきれいになったものの、これを見てまず浮かんできた言葉は「厚化粧」。次に刻まれていた文字はどうなっているか心配になり確かめてみたのですが、文字は残っているものの、修復前より読みにくくなっているように思いました。今の状態からは秀頼・淀君の五輪塔だと推測するのは私には出来ないように思います。きれいになって良かったと思う反面、これで良かったのかしらと、ちょっと複雑な気持ちで秀頼様と淀君様にバイバイをしてまいりました。

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