竹内街道・その1(竹内峠)

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竹内峠を奈良県側から抜けてきました。もちろん車で・・・。これは国道166号線の竹内峠付近にある案内板です。歴史国道というのは国交省「歴史国道」整備事業により選定された国道のことで,歴史上重要な幹線道路として利用され,国として特に重要な歴史的・文化的価値を有する道路を「歴史国道」と称し,その道路を対象に,保存,復元および活用を図り,あわせて地域からの情報発信を行うことにより,歴史文化を軸とした地域づくりと活性化,地域の歴史文化と触れ合うことのできる魅力的な空間づくり,道と地域の歴史文化の継承などを目的としているそうです。

大和の国と河内国の国境

道路の左側、少し高くなっているところを竹内街道が通っています。ここは奈良県と大阪府の境界。道路を下ると大阪府の太子町です。どこでもそうですが、峠の手前からは向こう側の景色が見えません。どんな景色が広がっているのだろうかとわくわくします。こんな気持ちは今も昔も変わらないのではないでしょうか。旅のもつロマンの一つだと思います。

竹内街道

国道の左側の様子です。街道はきれいに整備され、休憩所も設置されています。一度は歩いて峠越えをしてみたくなります。案内には 『 日本書紀に「推古天皇二十一年(613年)難波ヨリ京(飛鳥)ニ至ル大道ヲ置ク」と記されたわが国最古の国道にあたり、古来から歴史の表舞台で重要な役割を果たしてきました。そして、平成7年 国によって太子町春日から當麻町長尾神社までの約7.4kmの区間が「竹内街道竹内峠」として歴史国道に選定されました 』 とあります。

4 Responses to 竹内街道・その1(竹内峠)

  1. J.K. says:

    大阪と奈良を結ぶ街道は、間に山があるためそれほど多くありません。古来より竹内街道は東西を結ぶ重要な往来のひとつだったのでしょう。奈良県には10年間住んでいましたが、ごく狭い範囲で生活していたことを、いまさらながら思い知らされます。

    • asamoyosi says:

      大阪・奈良間の交通の便はとても良くなってきていますね。最近はこの竹内街道沿いに南阪奈道路が開通しました。それに比べ、和歌山・大阪間は私がこの地に住むようになってから長いのですが、阪和自動車道が一つ開通しただけです。もっとも道路拡張などで和歌山側は通りやすくなってきてはいますが、大阪側に入ったとたん昔ながらの道というのが多いです。大都会の大阪から田舎の和歌山に来るとき、峠を超えると突然立派な道路が出現というおもしろい現象が起きています。
      奈良方面に出かけたとき、帰りは違う道をということで大阪経由で帰ってきたりしています。その中でやはりこの竹内街道が私の一番のお気に入りです。

  2. J.K. says:

    30~40年前の話になりますが、和歌山線の名手という駅の近くに友人がいて、時々遊びに行ったことがあります。通常は紀見峠を通って行くのですが、お盆の頃などは大渋滞になりますので、西笠田から480号線を利用することもありました。asamoyosiさんおっしゃるように、和歌山県側はそれなりに舗装されているのですが、大阪側に入るととんでもない道でした。今も当時とあまり変わらないのでしょうね。両県の相手にたいする思いの違いが如実にあらわれているようで、悪路の大変さよりも興味深い思いがしたものです。

    • asamoyosi says:

      一時、大阪側の道も整備するという話もあったのです。紀の川の水を分水するという条件で・・・。ところが大阪の水需要が減ったためその話もなくなってしまったようです。
      峠を挟んで両府県の道路の比較というのも面白いブログのネタになりそうですね。貴重なヒント、ありがとうございます。

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