国鉄・五新鉄道の遺構 (五條市・新町)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

1934年から五條市と和歌山県の新宮(太平洋側)を結ぶ鉄道・五新線が着工されました。その遺構を国道24号線沿いで見ることが出来ます。写真右側がJR五条駅へ向かう側です。国道24号線が拡張されるまでは、この橋梁の下を道路が通っていたのです。ニュースで五新線橋梁の一部撤去が報じられたのはいつ頃だったでしょう。その時は、道路を広げるためだから仕方がないよねとぐらいにしか思っていなかったのですが・・・

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

一枚目の写真とこの写真の橋梁は最近まで繋がっていたのです。こちらは南へ延びていく部分になります。一度も汽車が通ることがなかったため、幻の五新線と言われていますが、現代と違い、機械力などほとんどなく人力頼りの時代に、ものすごい計画を立て実行しようとしていたのですね。紀伊山地を縦断して太平洋側に至るという・・・。 道路が拡張される前と後では、見える景色が全然違います。道路拡張前は、ただ橋の下をくぐるといった感じだったのですが、拡張に伴い、見える景色が広がると、へえ~、こんなに大きな構造物だったんだと、改めて感心させられます。 ところで、この遺構を見て感じたのですが、コンクリートの表面がとてもきれいですね。最近では耐用年数が・・・ということで、古い建物がどんどん壊されて、新しい建物が建てられています。でもこれは90年近く経っているのですよ。それなのに、コンクリートの表面の劣化はほとんど見られないように思います。当時より技術が進んだはずの時代に作られたものの方が耐用年数を理由に壊されていく・・・。一体どうなっているんや!と考えさせられてしまいます。そうそう、今、大阪東線が開通しているのですが、1929年に建設された赤川鉄橋が使われているのですよね。昔の方が優れた技術力だったなんてことになると、技術立国日本の名が泣きます。昨今の日本の現状を見ると、国債は膨れ上がり、通貨の価値はどんどん下がり、かつて高い技術力によって支えられ、強い国力を誇った日本の面影は全然ありません。膨大な戦費をまかなうため国債が際限なく発行されて敗戦を迎え、その後に経験したあの大混乱が再び訪れることのないように願うばかりです。幻の五新線から話がとんでもない方向に行ってしまいました。ごめんなさい。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください