突然の秋の花火 (たぶん、橋本市運動公園)

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夕食をとっているとき、突然ドドーンという大きな音。打ち上げ花火のようだけど、またサプライズ花火でも打ち上げているのかしらと、窓から外を眺めたのですが、音は聞こえど光は見えずで終わってしまいました。その後、何日かして再び花火の音が・・・。今度は花火をはっきり見ることが出来ました。きれいだね~と話しながら見ていたのですが、写真を撮るのを忘れていることに気付き、慌ててカメラを取りに行ったのですが、カメラを構えたときには花火は終わってしまいました。そして10月29日のことです。またまた花火の音が・・・。今度こそ写真を撮らねばと、一番最初に撮った写真です。その時、シャッタースピード等の調整が出来ていないことに気がついて、いろいろ設定を変えながら撮ったのですが、後で見てみると最初に撮ったこの写真が一番きれいに写っていました。但し、三脚を使わず手持ちで撮ったため、ブレブレの写真です。実はその後もまた花火が上がるのではないかと密かに期待していたのですが、どうやらもう上がりそうにないので、恥を忍んでこんな写真を載せることにしました。これはカメラの眼でしか見ることの出来いない花火です・・・なーんちゃって。 季節外れの花火、雰囲気だけでもお楽しみ頂けたら幸いです。

飛鳥散策 まら石と坂田寺跡 (奈良県明日香村)

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巨大なマラ石を想像していたのですが、もしかしてあれがマラ石?と近づいてみると、やはりそうでした。「これがね~」と少々ガッカリしたのですが・・・。案内板を転記しておきます。「マラ石 Maraishi Stone 明日香村にある謎の石造物の一つ。男性器を模したもので本来は真すぐに立っていたともいわれている。地元では、飛鳥川を挟んだ対岸の丘陵を「フグリ山」と呼び「マラ石」と一対のものと考える説もある。子孫繁栄や農耕信仰に関係した遺物と考えることも出来よう」 なるほどね、元は真っ直ぐ立っていたのが今はこんなに斜めになってきているのか・・・。そりゃあ年をとるとそうなるよね、と変に納得。仔細に眺めてみたのですが・・・

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うーん、もう一つリアリティーに欠けるような・・・。

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反対側から見てもやはり今ひとつ。そうだ、これって横から見ているんですよね。私の持っているものは毎日見ているのですが、見るのは上からばかり。横から見たことってあったっけ・・・。おっと、話が変な方向に行ってしまいそう。でも、信仰の対象だから、そんなにリアリティーを追求することもないのかも知れませんね。それにしても対岸の丘陵をフグリに見立てるなんて雄大な伝説だこと。少々アンバランスなような気もするのですが、まあ良いか。伝説ですものね。そう言えば、先日取り上げた明日香にある「弥勒石」とどこか雰囲気が似ているように思いませんか? あちらはまだ真っ直ぐ立っているので若いのかも知れませんが、下半身の病気に効くそうですので、関連性があるように思うのです。ただし、これは私のいつもの勝手な思いつきです、念のため・・・。 話は変わりますが、高野山にも弥勒石が2つあるのです。奥の院・御廟橋をわたったすぐ左のお堂の中にある本物の石の弥勒石とお菓子のみろく石が。これから、マラ石→弥勒石→高野山奥の院にある弥勒石→高野銘菓・みろく石と連想してしまいそう。高野銘菓・みろく石を買うたびに、この石を思い出してしまうかも・・・。 それはまあそれとして、マラ石に関しては、同じ明日香にある飛鳥坐神社のマラ石の方がリアルなような感じがします。よろしければクリックしてご覧ください。昔は性に関してもおおらかだったのですね。現代も男女のお付き合いには抵抗感がなくなってきているように思います。もしかすると一般的に言って、私たちの世代の青春時代は一番垣根が高かった時代だったのかも知れません。もちろん、一部には積極的に交際を楽しんでいた人もいましたが・・・。 「男女七歳にして席を同じうせず」なんてこと、ご存じですか? 今時こんなことを言うと笑われてしまいそう。

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「坂田寺金剛寺址」という石碑が建っているだけの坂田寺址です。世界大百科事典には 「明日香村にあった古代の尼寺。渡来人鞍作氏の氏寺で,金剛寺とも呼ぶ。継体天皇16年司馬達等が坂田原に結んだ草堂に始まると伝えるが、6世紀末から7世紀初めに,達等の子の多須奈や孫の鳥(止利仏師)が本格的な寺院とした。飛鳥において豊浦寺と並ぶ有力な尼寺であったが,しだいに衰え,中世には多武峰の妙楽寺や奈良の興福寺の末寺となった。坂田寺の法灯を継ぐという現在の金剛寺は遺跡より少し南に建っている」 とあります。過去の栄光はいずこに・・・と言った風景です。

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坂田寺の石碑の側にある万葉歌碑です。「御食向 南淵山之 厳者 落波太列可 削遺有 孝書」 犬養孝先生揮毫の歌碑で万葉仮名で書かれています。 御食向(みけむか)ふ南淵山の厳には 落(ふ)りしはだれか消え残りたる。 南淵山の厳に見える残雪らしい白い鹿の子模様を飛鳥から遠望して詠んだ歌です。昔は南淵山は飛鳥から見ると田舎のような感覚だったのでしょうか。南淵と言えば遣隋使の一員として随へ赴いた南淵請安という飛鳥時代の学問僧を思い出します。彼はこのあたり(明日香村稲渕)の出身のようです。

飛鳥散策 稻淵の棚田と飛鳥稲渕宮跡 (奈良県明日香村)

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有名な石舞台古墳の南にある稻淵の棚田です。棚田は以前「棚田と飛び石]と言う表題で取り上げたことがあるのですが、今回もその時と同じような季節になってしまいました。棚田は本来なら耕すことが出来ないような斜面にまで工夫して水田を作った昔の農業の名残のように思います。水田は水を張るため、あぜ道が地図の等高線を表しているようで、上の方から見ると特有の美しさがあります。

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ここでは両側から棚田が迫り、明日香川はその間を流れていきます。この明日香川の上流には子孫繁栄と五穀豊穣、それに悪疫などが村に入ってこないように、川の両岸にかけて「男綱・女綱」が張り渡されている栢森という集落があります。

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史跡・飛鳥稲渕宮跡です。この付近からコの字型の建物配置をもつ建物の遺跡が発掘され、その形状から天皇の宮殿、あるいは後続の邸宅跡地ではないかと考えられているそうです。具体的には乙巳の変後の653年、中大兄皇子らが難波から飛鳥に戻ってきたとき、一時期営まれた飛鳥川辺行宮の跡地ではないかとされているようです。

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飛鳥稻淵宮跡にある犬養孝先生揮毫による万葉歌碑です。万葉集巻七ー一三六六の 明日香川七瀬の淀に住む鳥も 心あれこそ波立てざらめ 歌意は 明日香川の七瀬の淀に住んでいる鳥も 心があるからこそ波を立てずにじっとしているのでしょうに  この歌は恋愛に関する比喩形式の歌を取り上げた譬喩歌のうちの一つです。ですから、鳥でさえ心があるから波を立てずにそっとしてくれている。二人の恋の邪魔をしないでいるかのように・・・、という意味だろうと思います。そう言えば「棚田と飛び石」で出てくる「明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」の歌も恋歌であったような・・・。「明日香川」と「恋」は切っても切れない関係がありそうです。「明日香」という言葉からは、恋する若い二人が願う希望に満ちた明日という意味が込められているのかも知れません。私たちも若い人達と同じように、いつまでも今日より明日へと夢を持ち続けていきたいものです。

豆の花と蝶

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9月の末に秋植え野菜を植えようとホームセンターに行ってみたのですが適当なのが見つからず、結局エンドウ豆の苗を買ってきました。理由は収穫が来年の春以降になると、トマトやナスの植え付けが出来ないので「まだまだ年内収穫できます」との張り紙を見て、このエンドウ豆に即決したのです。どんどん大きくなって花もそこそこつくようになってから、はたと気がついた。受粉に不可欠なチョウチョなどの昆虫は、冬に向かっているのに飛んできてくれるのかしらということに・・・。五つ六つはもう実がついているのですが、次々に咲いてくる花はどうなるのだろうと心配していたのです。ところが先日、明るい日差しに誘われるかのように、ご覧のようなチョウチョが二,三匹ひらひらと舞っていました。ヤレヤレこれで一安心。もう暫くは豆の収穫も期待できそうです。それにしてもこのチョウチョ、シジミチョウだと思うのですが、いつまで飛んできてくれるのでしょう。たった四本しか植わってないエンドウの花を見つけて飛んできてくれるなんて、チョウチョウはどうして判るのでしょう。まさに自然の不思議としか言いようがないような・・・。

高野山の紅葉情報 ーおまけですー

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写真は奥の院への入口、一の橋の方向を撮ったものです。紅葉と緑の杉木立の対比が美しい。赤と緑・・・、まさにクリスマスカラーといった感じです。写真には人や自動車はほとんど写っていませんが、この一瞬をとるため、じっと待っていたのです。と言えばちょっと格好良いのですが、実は別行動をとっていた伴侶と待ち合わせ場所を一の橋周辺にしていたため、時間が充分あったからです。この日は山内を多くの自動車、バスが走っていて人出で賑わっていました。久しぶりに見た賑やかな高野山でした。

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町中を徘徊していた伴侶が「綺麗なところがあったよ」と連れて行ってくれました。これがそのひとつで、赤い鳥居とその先にある紅葉と黄葉、白い土塀その上にある緑の木々、実にカラフルです。鳥居は清孝稲荷への参道です。

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右奥に見える建物は摩尼宝塔です。摩尼宝塔は先の大戦でビルマ(ミャンマー)戦線で亡くなった方をお祀りしています。美しく紅葉したモミジが手向けの花のように見えます。摩尼宝塔は高野山へ来られた節は、是非見学して欲しい所です。戦争は勇壮で格好良いものでは決してなく、悲惨極まりないということが身にしみてわかると思いますので・・・。

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これは紅葉ではないのですが、ムラサキシキブです。「可愛らしいでしょう」の押し売りで撮ってきました。

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お寺の中もこんなに綺麗に彩られていました。ということで、今回はオマケとして奥の院から少しだけ外に出て、町の様子をご紹介しました。帰りの車の中から見ると、高野山で最も人気のある蛇腹道も多くの人達で混んでいました。こちらも紅葉は見頃でした。以前行ったときの写真ですが、よろしければ2020年の高野山の紅葉情報をご覧ください。

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これは一の橋から参道を通って中の橋駐車場へ戻るときに撮った写真です。大きな木の切り株なのですが、どれくらいの大きさかお判りですか?私が中に入って両手を広げた(一尋)より、まだ少し大きいのですよ。中がこんなに空洞になるまで巨木を支えていたのですね。たいしたものです。一寸感動したのでオマケのオマケということで載せました。奥の院では、このような巨木の切り株があちらこちらにあります。切り株の大きさから、今はなくなっている巨木の大きさを想像しながら、空を見上げてみるのも一興かと存じます。巨木の思いと見上げる人に気持ちが一体となるような感じがして・・・。オマケのオマケの一枚でした。

高野山の紅葉情報 (奥の院・英霊殿前)

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昨日、高野山の紅葉を見に行ってきました。例年、何回かお伝えしている高野山の紅葉情報ですが、今年はこれ一回きりになると思います。この次に行ったときは多分終わっていると思いますので・・・。英霊殿前の紅葉の様子です。

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紅葉の下を流れているのは清流・玉川です。

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川に沿って植えられているモミジも風情があって良いものですね。定番とも言える川の堤防沿いに植えられている桜も良いのですが・・・。

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山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ もみぢなりけり・・・

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遠く眺める紅葉も美しいのですが、近くに寄って眺める紅葉葉もまた一段と風情があって美しいように思います。

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イチョウは楓より一足早く散ってしまっています。地面を覆っているイチョウ葉もとっても美しい・・・。 金色の 小さき鳥の 形して 銀杏散るなり 夕日の岡に。 枝に残っている小鳥はあとわずか。

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秋・イチョウといえばギンナン。ちょっと小さめのギンナンでしたが10個ばかり拾ってきました。「拾う?」「やめておこうよ。手が臭くなるし・・・」「手水で洗えば大丈夫」ということで拾ってきたのですが、本当に大丈夫だったのかしら。お清めのための手水を使ったりして・・・。

飛鳥散策 万葉歌碑と弥勒石  (奈良県明日香村)

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この日高取町での所用を済ませたあと、天気が心配されたのですが大丈夫そうだったので飛鳥を散策してきました。

柿本人麻呂の万葉歌碑です。「明日香川 しがらみ渡し 塞(せ)かませば 流るる水も のどにかあらまし」(巻二 一九七) 歌意は「明日香川にしがらみをかけ渡して堰き止めたとしたら 流れる水も ゆったりと流れるだろうに(日本古典文学全集)」 この歌は、巻二ー一九六「明日香皇女を城上(きのへ)の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首併せて短歌」の短歌二首の内の一首です。皇女が亡くなったのを悲しんで、急いであの世に旅立って欲しくないという気持ちを詠んだ歌だと思います。亡くなった人が少しでも長く側にいて欲しいと思う気持ちは昔も今も変わらない人の情だと思います。

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この日は雨上がりだったので、普段は穏やかな明日香川も勢いよく流れていました。いつも天気の良い日を選んで出かけてくるので、こんな明日香川を見たのは初めてです。これでは、人麻呂の願いも叶わないように思います。

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飛鳥川に沿って歩いて行くと、前方にお堂らしきものを発見! 多分あれが弥勒石をお祀りしているお堂だろうと近づいてみると・・・

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やっぱりそうでした。中に祀られている巨石が弥勒石です。鈴の緒が邪魔になってよく見えないので近くから撮ってみます。

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ずんぐりむっくりした巨石です。下から見上げると上部は人の顔のように見えます。まるで頭の小さいコケシのようです。案内板にあった説明文を転記しておきます。 この「弥勒石」は、真神原の西を流れる飛鳥川の右岸に位置する石柱状の巨石である。石には仏顔面もほとんどないが、わずかに目と口とみられる部分が細工されているだけである。 弥勒石を拝むと下半身の病気が治るという言い伝えがあり、今も地元や周辺の人々の信仰を集めるとともに、「ミロクさん」と呼ばれている。毎年旧暦8月5日に明日香村大字岡がお祭りを行っています」とあります。

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もっとはっきり見えないかと斜め横から撮ってみたのですが、かえって目や口は見えにくくなり、その代わり耳のように見える削り跡が目につきます。

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後ろから見ると鋭く深い彫り跡が二本あります。この彫りも何か意味があるように思えるのですが、特に説明はされていませんでした。これほどの石を細工する技術があるなら、顔の部分ももっと丁寧に彫れば良いのにと思ったのですが・・・。飛鳥にたくさんある謎に包まれた石造物の一つだと思います。

入鹿の首塚と飛鳥寺 (奈良県・明日香村)

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乙巳の変(645年)で中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)によって暗殺された蘇我入鹿の首塚と言われている五輪塔です。ここから約7~800m離れた飛鳥板蓋宮で首切られた入鹿の首がここまで飛んできたとか・・・。入鹿を殺害した中大兄皇子らは蘇我氏の反撃を畏れて飛鳥寺(法興寺)に入り、守備を固めたそうですが、入鹿の父親の蘇我蝦夷は住んでいた邸宅に火を放ち、潔く自害した言われています。その邸宅は五輪塔の背後に見える甘樫丘の麓にあったそうです。ほんの目と鼻の先なんですよね。そういった悲話が伝わる明日香の地、何度訪れても興趣が尽きることはありません。なお、甘樫の丘については以前何度か取り上げたのですが、「甘樫の丘からの眺望」をご覧ください。そのとき、入鹿の首塚が見えますと書いたのは、五輪塔の右の丘が少し低くなったところからこちらを眺めたときのものです。

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飛鳥寺の本堂と境内の様子です。美しく手入れをされた境内もとっても魅力的です。中央の大きな建物が本堂で、飛鳥大仏(釈迦如来座像)が祀られています。境内を出て西の方に入鹿の首塚があります。

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これは東側からの景色です。今は綺麗に整地され、駐車場になっているのですが・・・

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半世紀以上前の風景はこんな様子でした。私が高校生の頃、一緒に飛鳥散策に来た友が撮った写真です。まさに隔世の感。でも昔の風景も捨てがたいものがあるでしょう? 当時は飛鳥路を訪れる人も今ほどではなく、のんびりしたものでした。でも、ここまで来たとき”日本最古の大仏・飛鳥大仏を是非見ていってください”との拡声器からの呼び込みにガッカリして、中は見ずに通り過ぎたことを覚えています。その後何度かここを訪れる機会があり、金堂の内部を見学したのですが・・・

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これが本尊の釈迦如来座像、通称飛鳥大仏です。飛鳥寺(法興寺)は蘇我馬子が587年に発願し、蘇我氏の氏寺として建てられた日本最古の本格的寺院です。その後、寺勢は衰退し、この釈迦如来座像が安置されていた金堂も崩壊、露座の仏像となって風雨にさらされている時期もあったようです。そんな苦難を乗り越えて、今に残っているなんて本当に感動してしまいます。後世の補修部分が多くて、国宝ではなく、重要文化財になっていますが、その歴史を知るにつけ、拙く雑いような補修痕も愛しく思えるようになってきました。酷い状況におかれていても地域の人々の温かい信仰心が窺えるようで・・・。なお、台座は創建当時のままだそうです。と言うことは、この仏様は約1400年以上同じ場所に座っていらっしゃることになります。あの血なまぐさい乙巳の変も見つめていたのですよね。どのよな思いで眺めていらっしゃったのでしょう。

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境内にある佐佐木信綱揮毫の万葉歌碑です。万葉集巻三ー三二四の神岳(かみおか)に登りて 山部赤人の歌一首と反歌がが刻まれています。「みもろの 神奈備山に 五百枝さし しじに生ひたる つがの木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづはさわく 見るごとに 音のみし泣かゆ 古思へば   反歌 明日香川 川淀去らず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに」 歌意は( 三諸の神奈備山に 多くの枝が萌え出て繁く伸びているつがの木、そのツガという言葉のように、いやツギツギ(次々)に絶えることなく、常に止まず通いたいと思う明日香の旧都は、山が高く明日香河が雄大に流れ、春の日は山が美しく、秋の夜は河の音がさやかである。朝立つ雲に鶴は乱れ舞い、夕霧の中で河蛙はしきりに鳴き立てている。それを見るたびに涙があふれる。すぎ去った昔のことを思うと。   明日香河の河淀ごとに立っている霧のやがて消え去るように、心から消え去っていくような淡い思慕の情ではないのです) 明日香の美しい風景と過ぎし日の明日香の都を思い、限りない望郷の念を詠んだ歌です。 このような望郷の歌を見るたびに、古人の明日香への思いが偲ばれます。あの志貴皇子の「采女の袖吹き返す明日香風京を遠みいたづらに吹く」の歌のように・・・。

コスモスの海に浮かぶ大和三山 (奈良県橿原市・藤原京跡から)

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藤原京でコスモスが見頃だというので、出かけてきました。明治期に外国からやって来たコスモスと、飛鳥に次ぐ古い藤原宮跡は似つかわしくないのでは・・・と思っていたのですが、どうしてどうして素晴らしい景色を楽しむことが出来ました。万葉集巻二の二にある「大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は」 コスモス畑の向こうに見えている山は「とりよろふ天の香具山」です。舒明天皇が国見をされたときの歌ですが、今この景色をご覧になればどう思われることでしょう。登り立ち国見をすれば国原は薄桃色に秋桜の咲き乱れたるいとをかし・・・? こんなつまらないことを考えながら散策するのも一興かと存じます。

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こちらは畝傍山です。コスモスの色が少し違って見えるのは品種が違うのかも知れません。私たちが若い頃よく目にしたコスモスとは違ったいろいろな種類のコスモスが植えられているようでした。

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写真中央に見えている山が耳成山です。こちらは波高きコスモスの海原の彼方に浮かんで見えるようです。 「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき」 畝傍山を巡って香具山と耳成山が争ったらしい・・・、大和三山を人間の男女の関係に置き換えて詠んだ中大兄皇子の歌ですが、こんな景色の中ではそのような諍いもなくなってしまいそうな気がします。ところで、 四年前にも書いたのですが、私は三山それぞれの山容から見て、香具山・耳成山が女性、畝傍山が男性のように思われてなりません。ですから、この歌は「香具山は畝傍雄々しと耳成と相争ひき・・・」と思えるのです。詳しくは、前書いたブログ「藤原京から見た大和三山」をご覧頂ければと思います。

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ちょっとピンボケですが、一つの茎に3つの花が咲いているコスモズです。「ねえ、ちょっとこれ珍しいと思わない」と伴侶が教えてくれたものです。無数にあるコスモスの花の中から、こんな変わったのを見つけるんですよね~。四つ葉のクローバーもすぐに見つけます。ある種、特技といっても良いのかも知れません。ということで、一応敬意?を表して載せたオマケの一枚です。

今は昔、男の子あまたさぶらふ中に、いとイケメンといふにはあらねど、気になる男の子ありけり。「ちょっとこれ変わっていて珍しいんじゃない」と見つけられたのが私だったりして・・・。

まだしばらくは、コスモスは楽しめそうですよ。よろしければどうぞ・・・。

カナヘビと一緒に日向ぼっこ

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お天気も良いので、簀の子に座って、前日剪定した枝の整理をしていた時のことです。伴侶が「あーっ、ヤモリも一緒に日向ぼっこしている」と驚いた様子。ヤモリを明るい日中に見た記憶がなかったので、おかしいなと思いながら、彼女の指さす方向を見ると、可愛らしいカナヘビがお日さまにあたってくつろいでいました。こういった準長物にも弱い私ですが、これは小さいのでとても可愛らしい。写真に写っている2つの丸いものは直径5mmほどの釘の頭ですから。私が動くと逃げてしまいそうな近距離だったため、彼女にカメラを持ってきてもらい撮ったものです。こんな小さな生き物でも、寒くなってくるとお日さまの暖かさが恋しくなってくるのでしょうか。私が仕事をしている間中、側で日向ぼっこをしていました。小春日和と言うには少し早いのですが、一人と一匹、心地よい日差しを楽しんだひとときでした。