葛木坐火雷神社 その1 (葛城市・笛吹)

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屋敷山古墳から久しぶりに山麓線(県道30号線)を通って帰る途中、「笛吹神社⇒」の案内板があります。以前から気付いていたのですが、笛吹神社という名前から、それほどたいした神社でもなかろうと、気にも止めていなかったのです。今回その笛吹神社の文字の下に葛木坐火雷神社と小さな文字があるのに気がつき、ん?と思って立ち寄ってみることにしました。駐車場に車を停めて、神社に向かったのですが、式内大社葛木坐火雷神社という石碑が建っていいるではありませんか。えっ!、式内大社? 大社とは相当格式の高い神社じゃない?出雲大社・住吉大社・熊野大社・多賀大社などの神社が脳裏をよぎります。笛吹神社は通称のようです。ということで、なんだか身の引き締まる思いでお参りをしてきました。

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鳥居をくぐってすぐのところにある何やら謂れのありそうな石です。どういった石なのだろうと子細に見ていたのですが、横から伴侶が「それはお百度石だよ」「しめ縄が張ってあるんだよ。そんなお百度石って今まで見たことある?」「でも、そのしめ縄に御百度石と書いた木札がぶら下がってるじゃない」 本当だ、御百度石と書かれた小さな木札がぶら下がっていた・・・

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そこから、階段が続いています。両脇には石灯籠がずらり。とても厳かな感じ。さすが式内大社と思いながら上っていきました。

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さらに続く石段。その上に本殿が見えています。

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最後の石段の上に本殿が見えました。

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先に挙げた大社ほどの大きさはありませんが、厳かな感じのする神社です。

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左側の狛犬(吽形)です。

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右側の狛犬(阿形)です。この堂々とした狛犬、迫力と風格を感じませんか?ここにお鎮まりになっているのは火雷大神と天香山命。国の大事には必ず勅使が参向し幣帛を捧げられたそうですが、それもうなずけるような荘厳な雰囲気が漂っている神社のように思いました。

2 Responses to 葛木坐火雷神社 その1 (葛城市・笛吹)

  1. CHIRICO says:

    asamoyosi様、おはようございます。
    あのお百度石、やはり気になりますよね。
    僕も単なる石ではないように感じました。
    葛木坐火雷神社は海部家の天村雲がやってきた場所だそうです。
    天村雲はここで大和王朝の初代大君(天皇)に就任したと富家は伝えます。
    当社旧記によれば、「尾張家(海部家)の血を引く御子の大彦命は、笛吹連とともに侵入軍と戦った」と記されているそうですが、大和の大彦は笛吹の東北「曽大根」(大和高田市)で育ち、「中曽大根彦」(ナカソオネヒコ)と呼ばれました。彼が記紀に悪名高き「長髄彦」(ナガスネヒコ)その人です。
    侵入軍とは九州の物部族、大彦は異敵から大和を守ろうとした英雄でした。

    そのようなことで、葛木坐火雷神社はとても権威ある神社になります。
    本殿の裏手には古墳もあります。

    • asamoyosi says:

      CHIRICO様 おはようございます。
      いつもありがとうございます。
      とても荘厳さが漂ってくるような雰囲気に、帰ってからCHIRICO様から頂戴した例の系図を調べてみました。
      案の定「葛城笛吹の地に移り大和王朝を築く・・・」とあるのを見て、やっぱりと納得しています。
      神社にお参りして、こんな気持ちになったのは初めてのことです。ほかの神社にない何かがあるでしょうね。
                                                  asamoyosi

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