小早川隆景五輪塔 (高野山・奥の院)

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以前「吉敷毛利家墓所」で取り上げた小早川隆景の五輪塔ですが、その時は文字が読みづらく、?マーク付きの記事になっていました。その後、隆景の五輪塔に間違いないとのコメントをいただいたのですが、今回久しぶりに訪ねてきました。右側の五輪塔がそれです。

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前回に比べ文字がとても読みやすくなっていました。右端は一寸写真では読みにくいのですが、多分天正十六年とあるように思います。次は 「藝州小早川」 次は良く分からないのですが「為泰?岳紹?立?」 (ここで間違いないと思うのが為と岳の字だけです。あとは想像たくましく無理矢理読んでみたものです) そして[「隆景逆修」 「十一月十五日」 と続きます。ということで、この五輪塔は小早川隆景の逆修墓であることを確かめることが出来たのですが・・・。地輪の文字とにらめっこをしているとき、ふと逆修墓についての疑問がわいてきました。逆修墓ってどんなきっかけで造るのだろうということです。①跡継ぎ等がいなくて自分のことを供養してくれる人がいないと思うとき、②死ぬ覚悟を持って重大なことに臨むとき、③連れ合いが亡くなったとき一緒に造る。私にはこの3つぐらいしか思い浮かびませんでした。まだ他にもあるのでしょうか。隆景の場合、天正16年にどんなことがあったのか調べてみると、秀吉から豊臣姓を下賜されたようです。ということは、もしかして隆景が死を賭して秀吉に忠誠を誓うといった決意を示したのかも知れません。 間違っていたらごめんなさいですが・・・。

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