粉河寺 その4 (紀の川市粉河)

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紀州3大祭りの一つ、粉河祭りが行われる粉河産土神社です。粉河寺本堂の裏手にある高台に鎮座しています。紀伊名所圖絵には六社壇として出ており、「本堂の後稍(やや)高き處にして、社殿六社ありければしかいふ」とあり、鎮守二社の御祭神は若一王子権現、丹生大明神、小社九祠には神祇三百餘座社、天照大神社、熊野三所権現社、吉野二十八社、一言主社、三十番神社、日吉山王社、白山権現社、多賀社等を祀る・・・ともに大伴船主の本願とかやとあります。神様の数、すごいですね。大伴船主はブログ「粉河寺縁起絵巻」に出てくる猟師(大伴孔子古)の子に当たるとか。ですからこの神社と粉河寺は切っても切れない関係にあると言えます。この神社の祭礼・粉河祭りは古くから受け継がれてきた歴史あるお祭りです。祭り当日には大きな山車も出て、大層賑わうそうです。江戸時代の案内記・紀伊名所圖絵にも詳しく描かれています。※紀州3大祭りとは 「粉河祭」、「和歌祭」、「田辺祭」のことです。

粉河祭 

これが江戸時代のお祭りの様子です。人混みが苦手な私は、気にはなるものの、まだ見に行ったことはありません。一度は行ってみなければと思っているのですが・・・。いつになるかは分かりませんが、私がブログにアップするまでは「粉河祭り」で検索すると多くの写真が出ていますのでそちらをご覧になっておいてください。

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粉河産土神社への階段を上がった左にあるおんどり石です。説明板には「おんどり石 鎌倉時代末元寇の時、元の大群を前に日本の武士たちは勇敢に戦ったが大苦戦で撤去を余儀なくされた。その際当社の祭神丹生大明神が鶏に乗り現地に赴き神力で大風を吹き起こした。元の軍船はほとんど難破し、沈没して全滅した。いわゆる「神風」で敵を退けたのである。この鶏が石となって産土神社の境内に座り続けて神社を守護している。 さらに、正月三日にはこの「おんどり石」がひと声鳴いて石段を登ると言われ、鳴き声を聞くものは長生きをすると言われている」とあります。 神風を吹かせたのは伊勢神宮の神様だと思っていたのですが、丹生大明神も出かけていらっしゃったんだ・・・。そう言えば九州の筥崎宮の神様も一役買ったとか・・・。要するに日本中の神々が力を合わせて神風を吹かせたと言うことなのでしょうね。

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粉河産土神社へ登る石段の途中から下を見たところです。左が粉河寺本堂、右が千手堂です。二つの建物のに挟まれた間からの眺望も春の気配が強く漂ってくるようで素敵ですね。そうそう、石段の登り口右に「たのもし乃みや」と刻まれた石碑が建っていました。この神社の別名なのかしら?もしそうだとすると粉河寺のご詠歌「ちちははの 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ たのもしの身や」の最後の部分「たのもしの身や」を「たのもしの宮」ともじっていつけた名前なのでしょう。粉河寺と産土神社の結びつきの深さがが窺えるように思います。

2 Responses to 粉河寺 その4 (紀の川市粉河)

  1. CHIRICO says:

    粉河祭り、検索してみました。
    なかなか勇壮なお祭りのようですね♪
    博多は今年も、どんたくも山笠も中止で、街の活気が消えそうです。
    やはり祭りは欠かせないものですね。
    神風がブワーッと吹いて、コロナも吹き飛ばしてくれると良いのですが。

    • asamoyosi says:

      CHIRICO様
      いつもありがとうございます。
      そうなんですよ。海神社氏子の友人の奥様が粉河出身なので、いつも粉河祭りの楽しかった話をしてくれます。でも聞くだけで人混みが苦手な私は、よし、行ってみよう!とならないのが辛いところです。このご時世ですのでしばらくはダメかも知れませんが、一緒に行こうよと言われれば行くかも知れません。若ければいいのですが、いい年を下二組のカップルで・・・。CHIRICO様の行動力が羨ましくなってきます。爪の垢を煎じて飲んでみたい気持ち・・・。
                                                    asamoyosi

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