出羽米沢3代藩主・上杉綱勝五輪塔 (高野山・奥の院)

上杉綱勝五輪塔 (1)

手前から上杉家3代藩主・上杉綱勝の正室・清光院、真ん中が2代藩主・定勝、そして右端が3代藩主綱勝の五輪塔です。実は以前、左2基の五輪塔は「2代上杉定勝と3代綱勝正室の墓所」ということで載せていたのです。何故その時、綱勝も一緒に書かなかったの?と言われるかも知れません。理由は五輪塔の前にある鳥居があったか、なかったかなのです。鳥居のある五輪塔はそれなりの方のものという思い込み。そう思い込んだため鳥居のない五輪塔には目が向かなかったのでしょう。これが私のお恥ずかしい性格なのです。ということで、今回恥ずかしながら、綱勝さまを追加いたします。

上杉綱勝五輪塔 (2)

地輪には出羽米澤城主前上杦播磨守綱勝 奉為上生院殿権大僧都〇法印・・・ 施主上杦喜平次建立之 寛文五月七日と刻まれているように思います。綱勝が亡くなったのは寛文4年。一周忌に建てられたようです。綱勝の正室・清光院は輿入れして3年後に亡くなり、実子のないまま綱勝自身も若くして急逝し、跡継ぎに吉良上野介義央の子供を養子(綱憲)として迎えるも領地は半減されるという大変な事態に・・・。そのため命日の建立は出来なかったのかも知れません。 上杉家についてもバラバラなブログになってしまってごめんなさい。「高野山奥の院・上杉謙信と武田信玄」、「出羽米沢藩・上杉家歴代の墓所」「上杉景勝五輪塔」もご覧いただければ幸いです。