京極高次の宝篋印塔 (高野山・奥の院)

京極高次? (1)

大津籠城戦死者追弔碑の隣に二基の宝篋印塔があります。前回のブログ「大津城中討死之侍衆の碑」の写真で、標柱の陰になっているものです。左側の塔身に残っているのはこんな文様。字が刻まれていたであろうことはわかるのですが読めませんでした。ところで、これに似た文様、親鸞聖人の宝篋印塔でも見たことがあります。2017年9月5日のブログ「親鸞聖人圓證兼実公覺信尼墓所の訂正版です」の写真をご覧ください。この文様、どんな意味があるのでしょう。

京極高次? (2)

こちらは、その右にある宝篋印塔の塔身です。文字がはっきり読めます。泰雲院殿〇公?宗徹道閑大居士 慶長十四五月三日。このことから、この方は京極高次で間違いないと思います。大津籠城で亡くなった多くの家臣に挟まれるように眠っている・・・。大津籠城に関しては、いろいろ意見をお持ちの方はあると思いますが、この宝篋印塔を見て、主従の絆の強さがわかるような気がしました。この一画は京極高次を中心とした主従の墓所と言えるかも知れません。是非一度ご覧になってください。ところで、文字が読めそう・・・ということだけで撮ってきたので、肝心の宝篋印塔全体を撮るのを忘れていました。迂闊なことでごめんなさい。でも、大津籠城戦死者追弔碑の隣ですのですぐにわかると思います。全体像は、またそのうち、お伝えするつもりです。 2016年9月5日の「大津籠城戦死者追弔碑」、2018年3月8日の「大津城中討死之侍衆の碑」のブログをご覧ください。追記:宝篋印塔全体の写真を撮ってきました。2018年4月12日のブログ「京極高次宝篋印塔」をご覧ください。

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