芭蕉句碑(高野山・奥の院)

芭蕉句碑

1687年10月江戸を出発し、翌年4月明石に至る俳諧紀行が「笈の小文」。途中、花の吉野を経て高野山へ立ち寄った際、詠んだ俳句「ちゝはゝの しきりにこひし 雉の声」の句碑です。奥の院参道・中の橋を過ぎて御廟まであと少しといったところにあります。 「はせを翁 父母の しきりに恋ひし 雉子の声」 と刻まれています。文字はかの有名な池大雅。俳聖といわれるだけあって句碑も貫禄十分といったところです。

2016年7月20日のブログ「高野山・奥の院の芭蕉句碑の裏側(江戸期の案内図に見る高野山)」も併せてご覧ください。

其角句碑

ついでといっては何ですが、こちらは蕉門十哲の筆頭といわれる宝井(榎本)其角の句碑です。碑の右側に「卵塔の 鳥居やげにも 神無月」 の句が刻まれています。この碑の後ろ側に明治壬午(明治15年)と刻まれているように思うのですが、もしそうであれば比較的新しいもののようです。(間違っていたらごめんなさい) 芭蕉句碑は皆さん立ち止まってご覧になっていますが、こちらは御廟の入り口・御廟橋に近くにあって目につきやすいところにあるにもかかわらず立ち止まる方はほとんどないようです。「鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春」 「夕涼みよくぞ男に生まれける」 など彼の俳句は結構知られているものが多いように思うのですが・・・。俳句と名前が結びつかないのかも知れませんね。

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