宝来山神社(かつらぎ町・萩原)

宝来山神社境内

宝来山神社の境内です。「光仁天皇(宝亀2年・西暦771年)和気清麻呂が八幡宮を奏斉したのに始まり、のち高尾山神護寺の僧・文覚上人が社殿を造営。元亀・天正の頃織田信長の兵火に炎上、慶長19年(1614年)再建・・・」と案内板にあります。鳥居をくぐり、この境内へは南海道を横切って入ることになりますし、すぐ西には万葉で有名な背の山もあって、古代の歴史が濃厚に漂っている神社です。

神殿

社殿を裏側から見たところです。四つの社殿は重要文化財に指定されています。写真手前と一番向こう(屋根の軒先がわずかに見えている)は脇社で県の文化財に指定。正面から見るとちょうど左右対称的な配置になっています。大山祇大神、八幡大神、菅原大神、猿田彦大神の他四柱の神々が祭られています。鳥居にかけられている額には「正一位勲八等日本第一大福田宝来山大明神」とあります。お参りするとすばらしい御利益がありそうです。

奥宮

社殿の右手の坂を少し登ると奥宮があります。立て札の文字は見えにくくなっていますが、それぞれの石が神様として祭られているようです。もしかしてこれは依代(よりしろ)かも知れません。

舟つなぎの松

鳥居のすぐ近くにある船つなぎ松址です。昔は紀ノ川がこのあたりを流れていて船を繋留しておくための松の木があったそうですが今は枯れてしまってありません。樹齢約450年、幹周約5メートル、樹高約15メートルの堂々たる松の木で、昭和6年に県の天然記念物に指定されたそうです。紀ノ川は今、宝来山神社から約七、八百メートル南を流れています。写真でいうと向こうの山の麓に近いあたりです。この風景から往時を想像するのが難しいぐらいです。

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